若い頃から大病をいくつも経験し、
人生の中で何度も入退院をくり返してきたおふくろさんが
先週末7月26日の土曜の晩に身罷った。
思い返せば、それは虫の知らせというものだったのだろう。
5月の下旬に私も帰省し、半年ちょっと前に亡くなった
親父さんの納骨をようやく済ませて、午後は金沢へ移動するという日、
家を出るほんのちょっと前だったと思うが、
台所にいたおふくろさんの顔を見て、「おや?」と思った。
いつになく「綺麗な顔してるなあ」と思ったのだった。
もとより造作が美しい顔というのではないのだけれど(ゴメンね)、
その綺麗さというのは、おだやかで澄んでいて
いってみれば人が亡くなった後に現れるのと同じタイプの綺麗さだったから、
「ひょっとしてお迎えが近いのでは?」と頭をよぎったのだった。
もっとも、当のおふくろさんにしてみれば、親父さんの納骨が済んで、
肩の荷が下りただけの表情だったのかもしれないけど・・・。
ほどなくして、6月半ばにまたもや心臓でなんと6度目の入院をしたのだが、
今度は生前に本人が希望しないと言っていた
延命装置のお世話になる羽目になってしまった。
それから6週間。これまでひとりで面倒をみてきた弟が
今までにはない微妙な変化、反応の鈍さを感じとったようで
先週金曜に電話をしてきた。
私は「顔を見るだけでいいから」と、一泊の予定で帰省したその日の夜、
おふくろさんは彼岸へと旅立っていった。
人の最期を看取る「いまわの際」に立ち会ったのははじめてだったけれど、
これまでなんやかやと細やかに世話をやいてきた弟にとっては
それはとても辛い瞬間だったに違いない。
けれども私は、どちらかといえば、この世とあの世の境にある峠を
おふくろさんに無事に越させてあげたいという思いの方が強かったせいだろうか、
手を握り、顔をさすり、まるで産婆さんのようなキモチで、
励ましてあげる言葉をかけながら一部始終を見守った。
臨終のあと、おふくろさんの顔はほどなくして
安らかでとても綺麗な寝顔になった。
お昼間に見舞ったとき、まだお熱があったおふくろさんの顔を
たまたま持っていたクリームとカミソリで剃ってあげておいたのだけれど
死化粧も看護婦さんと一緒にして、最後に私がやわらかいピンク系の紅をさしてあげた。
さいわいに病みやつれのないとても好い顔をしていて、
「今まで見た中で一番綺麗だなあ」と親戚や家族みんなが口々に言っていた。
私は、おふくろさんが人工呼吸器やチューブにつながれて深い眠りに入ってる間、
きっとこれまでの人生を振り返る旅をしていたのに違いないと思っている。
若いころに負ったアルコールへのトラウマも納得しただろうか。
結婚後のあれやこれやも、どんな思いで振り返っただろうか?
良くも悪くも情の強い、しっかりした辛抱強い女性だった。
(そのこらえ性がついつい身体に現れていたのだろうとも思っているけどネ)
私には子供として物心がついてからの記憶しかないワケで、
その範疇だけでも、この母からたくさんのことを教えられ、
いろいろ学ばせていただいたのだなあ〜と
ありがたいキモチでいっぱいだったけれど、
弟の方がそれはもっと大きかったのだろう。
両親の“困ったちゃん”なところばかりあると思っていたのに、
この数年、弟は両親のケアを通して人間が変わった。
結局両親の良いところもしっかりと受け継いで、彼はそれを発揮した。
ことに私が嫁いでから後、弟なりに覚悟を決めたのだろうか、
遠くに住居している兄も私も頭が下がるくらい本当によく務めてくれて、
今度の葬儀でも、兄や私の気が利かないところなどは
彼にたしなめられるくらいだった。
葬儀が済んで出棺のさい、身内の私が言うのもなんだけれど
参列してくださった方々への挨拶はとても立派で、
幸田文風にいえば「人がふっくらと炊きあがった」かのようだった。
願わくば、この古い一軒家に一人きりになった弟に
いつかよい出会いがあって、よきパートナーと
新しい人生を始められたならいいのになあと思う。
それを鬼籍に入った両親にも頼まずにはいられないキモチだ。
さて、思いがけず、ほんの半年ちょっとで両親を見送ることになったのだが、
おふくろさんと最後に交わした会話は、
親父さんの納骨のあとに電話で話したきりだった。
ああ、もうおしゃべりすることもないのかあ〜・・・。
なんだか不思議で、まだちょっとフワフワしたようなキモチだ。
よく、人が亡くなって、その仏さんを奉っている間
飛んでくるハエは仏さんの化身だから叩いてはいけないという話があるけれど、
(家族が亡くなってすぐに無益な殺生をするなという教えだろうという節も)
たしかにお骨になって帰ってきて、祭壇に安置した翌日、
薄茶色のハエが一匹飛んでいてロウソクの台に留まっていたり、
昨日も私が家を離れる前に、ひょいと膝の上に留まったのを見て
「ああ、おふくろさん、また法事とか墓参りに来るからさ」と
気がつけばハエに向かって話しかけている自分がいた。
人生の中で何度も入退院をくり返してきたおふくろさんが
先週末7月26日の土曜の晩に身罷った。
思い返せば、それは虫の知らせというものだったのだろう。
5月の下旬に私も帰省し、半年ちょっと前に亡くなった
親父さんの納骨をようやく済ませて、午後は金沢へ移動するという日、
家を出るほんのちょっと前だったと思うが、
台所にいたおふくろさんの顔を見て、「おや?」と思った。
いつになく「綺麗な顔してるなあ」と思ったのだった。
もとより造作が美しい顔というのではないのだけれど(ゴメンね)、
その綺麗さというのは、おだやかで澄んでいて
いってみれば人が亡くなった後に現れるのと同じタイプの綺麗さだったから、
「ひょっとしてお迎えが近いのでは?」と頭をよぎったのだった。
もっとも、当のおふくろさんにしてみれば、親父さんの納骨が済んで、
肩の荷が下りただけの表情だったのかもしれないけど・・・。
ほどなくして、6月半ばにまたもや心臓でなんと6度目の入院をしたのだが、
今度は生前に本人が希望しないと言っていた
延命装置のお世話になる羽目になってしまった。
それから6週間。これまでひとりで面倒をみてきた弟が
今までにはない微妙な変化、反応の鈍さを感じとったようで
先週金曜に電話をしてきた。
私は「顔を見るだけでいいから」と、一泊の予定で帰省したその日の夜、
おふくろさんは彼岸へと旅立っていった。
人の最期を看取る「いまわの際」に立ち会ったのははじめてだったけれど、
これまでなんやかやと細やかに世話をやいてきた弟にとっては
それはとても辛い瞬間だったに違いない。
けれども私は、どちらかといえば、この世とあの世の境にある峠を
おふくろさんに無事に越させてあげたいという思いの方が強かったせいだろうか、
手を握り、顔をさすり、まるで産婆さんのようなキモチで、
励ましてあげる言葉をかけながら一部始終を見守った。
臨終のあと、おふくろさんの顔はほどなくして
安らかでとても綺麗な寝顔になった。
お昼間に見舞ったとき、まだお熱があったおふくろさんの顔を
たまたま持っていたクリームとカミソリで剃ってあげておいたのだけれど
死化粧も看護婦さんと一緒にして、最後に私がやわらかいピンク系の紅をさしてあげた。
さいわいに病みやつれのないとても好い顔をしていて、
「今まで見た中で一番綺麗だなあ」と親戚や家族みんなが口々に言っていた。
私は、おふくろさんが人工呼吸器やチューブにつながれて深い眠りに入ってる間、
きっとこれまでの人生を振り返る旅をしていたのに違いないと思っている。
若いころに負ったアルコールへのトラウマも納得しただろうか。
結婚後のあれやこれやも、どんな思いで振り返っただろうか?
良くも悪くも情の強い、しっかりした辛抱強い女性だった。
(そのこらえ性がついつい身体に現れていたのだろうとも思っているけどネ)
私には子供として物心がついてからの記憶しかないワケで、
その範疇だけでも、この母からたくさんのことを教えられ、
いろいろ学ばせていただいたのだなあ〜と
ありがたいキモチでいっぱいだったけれど、
弟の方がそれはもっと大きかったのだろう。
両親の“困ったちゃん”なところばかりあると思っていたのに、
この数年、弟は両親のケアを通して人間が変わった。
結局両親の良いところもしっかりと受け継いで、彼はそれを発揮した。
ことに私が嫁いでから後、弟なりに覚悟を決めたのだろうか、
遠くに住居している兄も私も頭が下がるくらい本当によく務めてくれて、
今度の葬儀でも、兄や私の気が利かないところなどは
彼にたしなめられるくらいだった。
葬儀が済んで出棺のさい、身内の私が言うのもなんだけれど
参列してくださった方々への挨拶はとても立派で、
幸田文風にいえば「人がふっくらと炊きあがった」かのようだった。
願わくば、この古い一軒家に一人きりになった弟に
いつかよい出会いがあって、よきパートナーと
新しい人生を始められたならいいのになあと思う。
それを鬼籍に入った両親にも頼まずにはいられないキモチだ。
さて、思いがけず、ほんの半年ちょっとで両親を見送ることになったのだが、
おふくろさんと最後に交わした会話は、
親父さんの納骨のあとに電話で話したきりだった。
ああ、もうおしゃべりすることもないのかあ〜・・・。
なんだか不思議で、まだちょっとフワフワしたようなキモチだ。
よく、人が亡くなって、その仏さんを奉っている間
飛んでくるハエは仏さんの化身だから叩いてはいけないという話があるけれど、
(家族が亡くなってすぐに無益な殺生をするなという教えだろうという節も)
たしかにお骨になって帰ってきて、祭壇に安置した翌日、
薄茶色のハエが一匹飛んでいてロウソクの台に留まっていたり、
昨日も私が家を離れる前に、ひょいと膝の上に留まったのを見て
「ああ、おふくろさん、また法事とか墓参りに来るからさ」と
気がつけばハエに向かって話しかけている自分がいた。
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by team-osubachi2
| 2014-08-01 10:42
| 日々いろいろ