丘の上から通信

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2019年 08月 15日

キャラメル

毎年この時期に放送されるドキュメンタリーを見て
少しずつ、ちょっとずつ戦争の歴史を知って学んでいるわけですが、
戦争って、はるか古代から現在まで、どんな時代も、
どんな武器や兵器の問題以前に「人間の問題」なんだと思うようになりました。

そして、起きた事を知るほどに、フツフツと湧き上がってくる怒りと、
どうしようもない悲しみと、やるせなさのようなものがないまぜになって
少しばかり自分の気持ちを持て余しそうになるほどです。

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ところで、自分に物心がついたころには、うちの父方のおじいちゃんは
すでに仏間の鴨居の上の額におさまっている人でしたが、
海軍の制服を着て、腰に小さな箱を二つ提げているのを見て、
子供の私はそれをずーーーっとキャラメルの箱だと信じて疑いませんでした。

のちになって、その箱は「ありゃ弾が入っとる箱やぞ」と聞かされた時は
本当にびっくりしました。w
え?なんだ、いざという時に非常食として口にするためのものじゃないの〜?!
戦争を知らない孫はのん気なものです。
聞くところによれば、うちのおじいちゃんは、
海軍の輸送船に乗っていてレイテ沖で沈んだそうです。
たとえ冗談で携帯していたとしても、
キャラメルなんて一粒だって口に入れる暇はなかったでしょう。

独身時代と違い、私もなかなか郷里のお墓参りへも行けなくなりました。
でも、戦争のことを考えるようになったこの歳になって、
孫として終戦記念日の今日という日に靖国神社へお参りに行っても良いのかも、と
そんなことを思うようになりました。

おじいちゃんの好みはまったく知りませんが、
こっそりとキャラメルをお供えしたいと思う自分がいます。w

森永ミルクキャラメル


by team-osubachi2 | 2019-08-15 23:08 | 日々いろいろ | Comments(4)
Commented by セージグリーン at 2019-08-16 08:04 x
お祖父様はレイテ沖海戦でしたか、、、私の大叔父も海軍軍人でビルマ(陸戦隊)で戦死しましたので、終戦記念日の靖国神社には、何度か参拝しましたが、ここのところ、デモ行進で周囲は喧しいようで悲しくなります。

以前「歴史秘話ヒストリー」で、日本海軍の給糧艦「間宮(まみや)」が取り上げられた際に、 艦内で製造される「間宮羊羹」は、他艦の軍人さんたちまでが求めにくるほど人気が高かったそうです。
緊張の局地にある戦地にあって、甘いものはどれほど慰めになったことかと思いました。
Commented by sogno-3080 at 2019-08-16 09:18
キャラメルの箱だと思っていた、子供らしい発想ですよね。レイテ沖、
あらためて地図で確認しました。そうやって家族親族から亡くなられた方の
話しを聞く、そしてそれをまた伝える。「伝えていく」ということは
大事だと思っています。私の実家にも小さな箱があって父の兄(長男)
が戦地から母親宛てに綴った葉書が何枚かあり、お盆にはそれをよく
読んでいました。母は毎年その箱を持ってきては同じ話をするのでした。
私も今年の家族旅行では母から伝え聞いた話を息子二人にしました。
どれくらい響いたかは分かりません。でも私ができることはやっていきたいと
思います。今年も「マンゴーの樹の下で」「幻の巨大空母信濃」
「全貌二・二六事件」を観ましたよ。
Commented by team-osubachi2 at 2019-08-16 13:55
セージグリーンさん
大叔父さまはビルマでですか。のちになってビルマという国名が変わるとは思いもしませんでしたね。
うちの母親が定年退職した後、一人で上京したことがあって、本人の希望だった靖国神社への参拝と、戦没者墓苑へのお参りで道案内したことがありましたけども、それ以来足を向けたことがないところです。考えてみれば、何も8月15日でなければならないというのでもなく、静かな時にそっと訪れてお参りするのでも良いかなと思っています。
間宮羊羹、ちらっと聞いたことがあったような・・・。幻の空母信濃のドキュメントで、お汁粉が振舞われた話が出てましたが、そりゃあ随分なご馳走だったんだなあ〜と生存の元兵士のおじいちゃんらの話から想像されました。
Commented by team-osubachi2 at 2019-08-16 14:18
sognoさん
あの出来事は一体なんだったのか、新しく現れる資料によってまた新たな見解ができる、そういう大きな流れは専門家や報道の人たちにお任せして、私たち一般人はせめて身内の身近な話を聞いたり、sognoさんのようにさらに次の世代へ伝えて行くことって大事ですね。一つ一つ犠牲が積み重なってるその上に今の暮らしがあるのかなあと思います。
二・二六事件の番組の中で、103歳になる生存者さんらのお話にもびっくりでしたけど、二・二六事件では、いつも柳家小さん師匠が反乱軍側にいた話を思い出します。
信濃、海に出て振舞われたお汁粉の話に反応してしまいました。笑。語る皆さん、今の高校生くらいの年頃だったのですねえ。こんな若くて、教練も受けたことない青少年らを伴って、大きな軍艦を動かしてたんだなあと思いました。
遠からず戦争を体験した語り部の人らも皆いらっしゃらなくなったときからが、本当に大変な時代のかもしれませんですね。


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