2010年 09月 06日
足袋の思い出
20代から30代前半にかけてしょっちゅう着物を着ていたころは、
色もの柄ものの半襟もよくかけていたので、
それにあわせて足袋も、色ものや小紋柄のものをよく履いた。
それで充分満足したのだろう、
いつしか半襟は白か生成りのものばかりになり、
足袋もそれにあわせて、白か生成りのものばかり履くようになった。
足袋のことで、忘れられない思い出がいくつかある。
そのうちのひとつは、20代もおしまいになって初の個展をひらいたとき、
たまたまご縁があって、それ以前にお会いしていた
社会学者の鶴見和子さんが見にいらして下さったときのことだ。
病で倒れられる何年も前の話だが、先生はもちろんのこと、
このころの私も着物をさかんに着ていたときで、
記念にと一緒にスナップ写真を撮らせていただいた。
後日、その写真を見た私はひとつの失敗を悟った。
いつも颯爽とお着物を着ていらっしゃった鶴見先生の足元は
踊りをなさる人らしい隙のない真っ白な足袋だったのに対して、
私はぼってりとした赤い無地の足袋を履いていたのだ。
・・・お客さんを迎える側の自分がはたして色足袋でいいのだろうか?
別に悪いことはないだろうと思う。
ことさら気にするような問題でもないかもしれない。
でも、私個人にとっては、こういうシチュエーションでの色足袋は
なんとなくきまりが悪いような感じがしたのだ。
以来、人とお会いするようなときには意識して白足袋を履くようになり、
だんだん好みも変化してか、半襟も足袋も、
色柄ものは次第に引き出しから駆逐されていった。
けれども、他の人の足元には寛容でいたいと思う。
かつて私自身も遊んだように、色柄ものの足袋の楽しさや実用性、
人それぞれの好みや似合い方というものがある。
それにいつの日か、また色ものを履きたい日が
来ないとも限らないのだから・・・。
色もの柄ものの半襟もよくかけていたので、
それにあわせて足袋も、色ものや小紋柄のものをよく履いた。
それで充分満足したのだろう、
いつしか半襟は白か生成りのものばかりになり、
足袋もそれにあわせて、白か生成りのものばかり履くようになった。
足袋のことで、忘れられない思い出がいくつかある。
そのうちのひとつは、20代もおしまいになって初の個展をひらいたとき、
たまたまご縁があって、それ以前にお会いしていた
社会学者の鶴見和子さんが見にいらして下さったときのことだ。
病で倒れられる何年も前の話だが、先生はもちろんのこと、
このころの私も着物をさかんに着ていたときで、
記念にと一緒にスナップ写真を撮らせていただいた。
後日、その写真を見た私はひとつの失敗を悟った。
いつも颯爽とお着物を着ていらっしゃった鶴見先生の足元は
踊りをなさる人らしい隙のない真っ白な足袋だったのに対して、
私はぼってりとした赤い無地の足袋を履いていたのだ。
・・・お客さんを迎える側の自分がはたして色足袋でいいのだろうか?
別に悪いことはないだろうと思う。
ことさら気にするような問題でもないかもしれない。
でも、私個人にとっては、こういうシチュエーションでの色足袋は
なんとなくきまりが悪いような感じがしたのだ。
以来、人とお会いするようなときには意識して白足袋を履くようになり、
だんだん好みも変化してか、半襟も足袋も、
色柄ものは次第に引き出しから駆逐されていった。
けれども、他の人の足元には寛容でいたいと思う。
かつて私自身も遊んだように、色柄ものの足袋の楽しさや実用性、
人それぞれの好みや似合い方というものがある。
それにいつの日か、また色ものを履きたい日が
来ないとも限らないのだから・・・。
by team-osubachi2
| 2010-09-06 00:34
| 着物のこと
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