カテゴリ:仕事をする( 75 )

ちいさな実りの季節

秋の実りをモチーフにするのはけっこう好き。
色やカタチもさまざまで、描いていて楽しいけれど、
個人的にことに好きなモチーフは、
これから冬場にかけて実るいろいろな赤い実。
小鳥がついばむようなちいさな赤い実・・・。
f0229926_23445159.jpg

ニュースで見た東北の山々の景色はすでに紅葉の色。
緑一色だった景色にいろんな色が混ざる季節。
朝晩の空気もヒンヤリと澄んでいてキモチがいい。
秋色もいよいよ濃くなってゆく・・・。


上は以前いただいたお仕事から。

*イラストレーションの無断使用及び複製・転載をかたく禁じます
by team-osubachi2 | 2012-10-20 00:07 | 仕事をする | Comments(2)

中秋を迎えるころ

「中秋」というのは旧暦の8月15日だそうで、
いまの太陽暦とはだいぶズレているんだなあ〜、と
こんな歳時ものに触れるといつも感じます。

以前、隔月で発売されていたとある料理雑誌の扉絵にと描いたのは
8月と9月の季節のもの、京都五山の送り火とお月見のお飾りでした。
どちらも旧暦とのつながりがいまも深い風物ですね。



f0229926_1449454.jpg



今年の中秋は明後日9月30日の日曜日。
きなこをまぶした白玉だんごくらいこさえてみましょうか?
ススキは先だって友人宅から頂戴してきましたし・・・。
もっとも、この週末、本州は台風の動きと
にらめっこしながらのお月見になるかもしれないですね。
歓迎しないまでも、どうか少しでも大人しく過ぎてくれることを祈ります。

そういう野分(台風)もなんだかんだこの季節のものですし、
現代の私たちも、好い事も厄災な事も含め、
季節の約束事と上手につきあっていきたいものだなあ〜と思うのでした。


*イラストレーションの無断使用及び複製・転載をかたく禁じます
by team-osubachi2 | 2012-09-28 15:02 | 仕事をする | Comments(0)

ハースト婦人画報社さんの
『美しいキモノ』の最新刊(秋号)が出ました。

これまでもたびたび『美しいキモノ』さんでご縁をいただいておりますが、
今年の春号からは田家祐布子さんの「ハッピーきもの術」の頁で
お仕事をさせておただいております。(秋号は368頁)

f0229926_12235638.jpg


今号は一冊まるごと京都のきものの大特集です。
無地っぽいのや洋服感覚で着る着物が流行ってだいぶたちますが、
色鮮やかで、柄ゆきにも雅やかな風がある
はんなりした着物をお召しの人の姿を
もっともっと見たいものだなあ〜・・・と、
本格的な着物シーズンを迎える秋になると
毎年のように思うのでした。


f0229926_12223475.jpg


お着物関係のお仕事をいつもありがとうございます。

*イラストレーションの無断使用及び複製・転載をかたく禁じます

『美しいキモノ』ハースト婦人画報社
http://www.hearst.co.jp/product/utsukushiikimono
by team-osubachi2 | 2012-08-21 00:24 | 仕事をする | Comments(6)

秋の気配(お盆休み)

残暑はこれからもまだ続きますが、
それでも午後の日差しや公園の草むら、朝の空気の匂いなどに、
ほんのりと・・・そこはかとなく
秋の気配が感じられるようになりました。


f0229926_23295574.jpg



都心のお盆は電車の混雑もなく車両も少ないせいか空が少し澄んで、
どことなく静かでのんびりした雰囲気が漂って、
これはこれでなかなかいいものだなあと思います。

故郷へお帰りの方々、旅にお出かけの方々、
締め切りまでちょっと間のあるお仕事の方々、等々、
みなさんそれぞれによいお盆休みでありますように ♪


(イラストは以前いただいた雑誌の仕事から)
*イラストレーションの無断使用及び複製・転載をかたく禁じます
by team-osubachi2 | 2012-08-12 12:14 | 仕事をする | Comments(2)

世界文化社さんの今月の新刊『家庭画報』9月号の
第二特集「ヨーロッパ最高峰のパノラマを訪ねて」で、
スイス・ユングフラウ方面の鉄道マップのお仕事をいただきました。

f0229926_15415157.jpg

ああ〜〜、こんな見るからに涼しげなところへ旅に出たいものですが、
とてもすぐには叶いそうもないので、
せめて見事なグラビア写真を眺めて妄想するだけにしておきます。

このたびのお仕事、どうもありがとうございました!

家庭画報.com/ヨーロッパ最高峰のパノラマを訪ねて
http://www.kateigaho.com/magazine/new/feature_02.html
by team-osubachi2 | 2012-08-11 15:49 | 仕事をする | Comments(0)

今週末8月11日(土)からシネスイッチ銀座で公開される
映画『「わたし」の人生(みち)』のフライヤー等で
少しだけですが、イラスト部分をお手伝いさせていただきました。

f0229926_1782938.jpg

「わたし」の人生(みち)ー我が命のタンゴー
8月11日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー

http://www.watashinomichi.com/

シネスイッチ銀座(カミングスーン)
http://www.cineswitch.com/movie/soon.htm

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

監督の和田秀樹さんは現役のドクターでもいらっしゃるそうです。
認知症介護というシビアな問題をリアルに描いているという内容のせいか、
けっこう身につまされる場面があったりするのですが
それでもおしまいには救いと希望の光が感じられるものになっていて、
ラッシュを見ながらいろいろと考えさせられた映画でした。

f0229926_183015.jpg

私の実家でいえば、私の父方の祖母だったおトキさんは
50代で認知症がはじまり、最後の数年は寝たきりになって
70代前半で逝ってしまいました。
男勝りに気が強くて友だちも少なかったおトキさんが
認知症を発症してからは家の中はかなり大変でした。
でも、寝たきりになってからは「女学生」になってずいぶん大人しくなりました。
(当時高校生だった孫の私も、おトキさんの中では同じ女学生になっていました)

そんな祖母に負けないくらい気の強いうちの母親とは、
ひとつ屋根の下の嫁と姑ですから、いろんないざこざがあったようですが、
祖母が寝たきりになってからというもの、うちの母親は持ち前の性分でか
仕事をしながらも病院へ通い、丁寧にきっちりと介護を務めあげました。

危篤の知らせを受けて私たちが病院へむかったのも間に合わず、
結局おトキさんの最期を看取ったのは側にいたうちの母親だけでしたが
おトキさんは母親に「ありがとう、ありがとう」とだけ言って逝きました。
その言葉だけで「報われたような気がした」と後に母親は言っていました。

ケースバイケースでしょうが、遠からず私もかかわる事ですから、
認知症であったうちの祖母と、母方の祖父の当時の様子を思い出しながら
これから先、心しておきたいものだなあ〜と思うのでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

集英社文庫からは原作本がでています。

和田秀樹著『「わたし」の人生(みち)』/集英社文庫BOOKNAVI
http://bit.ly/MtBQVm

このたびのお仕事、どうもありがとうございました。
by team-osubachi2 | 2012-08-08 18:10 | 仕事をする | Comments(2)

七夕祭り(残暑見舞い)

                                  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 残暑お見舞い申し上げます 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

     暦のうえでは秋に入りましたが、まだまだ厳しい暑さが続きます。
   どうぞくれぐれもご自愛いただき、元気に夏をお過ごしくださいますよう 。


                                       
f0229926_23394474.jpg




(イラストは以前いただいた雑誌の仕事から)
*イラストレーションの無断使用及び複製・転載をかたく禁じます

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

本日七日は立秋。
そして郷里の富山では七夕祭りの日である。
むかし親父さんがどこかからか笹竹を手に入れてきて
玄関わきにくくりつけて立てたところへ、
押し入れからとっておきの七夕飾りを出してきて笹へ飾りつけた。
さらには保育園や小学校で作った飾りものや、折り紙の飾りものや短冊をさげ、
お盆と七夕のときに使う赤い提灯をだしてろうそくを用意しておくと、
しょぼいながらも七夕らしい行事を子どもながらに感じて
わくわくして楽しかったのを覚えている。

この日は早くに夕飯をすませ、
親父さんにもなんとか早く仕事から帰ってきてもらって
遠くにある町の中心で毎年行われる七夕祭りへと
繰り出すのが本当に楽しみだったものだ。
町の中央通りには大きな七夕飾りがいくつも下がり、
屋台もたくさん立ち、お化け屋敷も来るのがおおきな楽しみだった。
思えば当時は娯楽も少なくて、大人も子どもも
田舎の人はみんなこんな季節の行事やお祭りを楽しみにしていた。
人でごった返す町の中央通りがとても大きく感じられ、
迷子になりそうだったし、弟も迷子になったりしたっけ。

中学・高校生ともなると、もう親がかりでは行かなくなった。
中学からは自転車通学だったこともあり、
町まで10km近くあるのを自分で自転車をこいで友だちと出かけた。
夜遅くに帰ると親によく叱られたりもしたけれど、
暗い夜道にはいつも天の川が大きく横たわっていたのを見上げながら帰った。
私にとっての七夕はだからまだ梅雨空が残る七月ではなく八月のものだ。

高校を卒業して上京した後は、もうそんな郷里のお祭りにも行けなくなった。
お盆に帰省してみれば、どこまでも続いているように見えた町の中央通りは
ただ単に二車線のちいさな道路でしかない。
どうして幼い頃はあんなに大きく幅広く見えたのだろう?
七夕さまの翌朝、来年も使うちょっと大きなお飾りを外した笹竹は
裏の浜辺で焼いておしまいにしていた。
今はそんな家もないのだろうし、何より自治体で禁じられている。

お祭りが終わってしまったあとは、なんだかぼんやりして、
これから一所懸命にやらなくちゃいけない夏休みの宿題と、
夏の暑さでなんだかぐったりしたような気分になるのだった。

今も自分が知っている唯一の七夕祭りは
昭和40年代の富山の端っこのちいさな町のものだけである。
by team-osubachi2 | 2012-08-07 00:39 | 仕事をする | Comments(6)

農文協さんの季刊誌『うかたま』で
「おいしいものを育てる人」というコーナーがあります。
そちらでお仕事をいただいておりますが
この夏の号はジュンサイがテーマでした。

f0229926_736118.jpg

人の口に入るものがどんな風に育てられているのか、
たとえばこのジュンサイひとつをとってみても、知らないことだらけ。
でも、そのほんの一端でも知るのはとても面白いです。

そんなお仕事をいただいていることに感謝 ♪

季刊『うかたま』/農文協
http://www.ukatama.net/
by team-osubachi2 | 2012-07-05 07:49 | 仕事をする | Comments(0)

注:これはもともと2011年の記事ですが、
文中の年数を一部修正して再度掲載させていただきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日から7月だ。
はやいもので、元文化庁長官で臨床心理士でいらした
河合隼雄さんが亡くなられてから5年になる。

2005年の秋のこと、雑誌『家庭画報』のベテラン編集者Sさんからの電話で
「河合隼雄先生がお書きになる物語の挿し絵をお願いしたい」と
突然の依頼を受けた。

その当時、私の河合隼雄さんに対する認識はずいぶん乏しいもので、
心のカウンセリングをすることや多数の著作があること、
雑誌や新聞で、インタビューや小文を
少し読んだことがあるだけというものでしかなかった。
文化庁長官であるということも、なんとなく知っていたのだが、
そういうお人が、自分の少年時代のエピソードをもとにした物語を
雑誌で連載するという。
タイトルはたしかすでに決まっていたように思う。
「題名は『泣き虫ハァちゃん』です」と・・・。


f0229926_230187.jpg



グラビア雑誌のカラー挿し絵、しかも連載などという仕事は
私には初めてのコトで、話を聞いて思わず緊張したものの、
ここはありがたくお受けした。
自分にそんな力量があるのか自信はなかったが、腹をくくることにした。
あとはただ、誠実に、まじめに、
いまの自分に出来ることを精一杯やるしかない。

最初の原稿を読み、担当のSさんと話し合いながら作業を進めた。
扉絵の「ハァちゃん」の泣き顔はそれまで何度描き直しただろう?
自分の中で登場人物が自由に動きだすには、
それなりに材料と時間が要るということを、このときに学んだように思う。
私の中の「ハァちゃん」はなかなかすぐには動いてくれなかった。

緊張が続いたままで、翌年年明けの2月号からいよいよ連載がはじまり、
第一回の挿し絵を見た河合さんは
どうやら私の絵を気に入ってくださったようで、
「岡田さんにぜひ一度、丹波の郷里を見てもらいたい」と言われ、
思いがけず、連載が始まった後になって取材する機会が巡ってきた。

趣味でフルートを吹く河合さんが、郷里の有志のクラシックコンサートの会で
演奏するために帰郷されるというので、
それにあわせて担当のSさんと共に丹波篠山に向かったのだった。

f0229926_2304948.jpg


いま思い出すと、ジョークを飛ばしながらニコニコとステージに登場し、
嬉しそうに演奏される河合隼雄さんの姿はほんとうに無邪気で、
音楽に身を置くしあわせを体いっぱいに表していたように思う。
当時の自分がもう少し賢明であったなら、
きっとその音色に、「ハァちゃん」の心そのままの人間・河合隼雄なるものを
おこがましくなく、ほんのちょっぴりでも感じ取れたかもしれないのに
・・・と思うと、当時の自分の不明さがとても残念に思われる。

コンサートの打ち上げが、河合家の長兄がいらっしゃる河合本家であったので
その席に呼んでいただき、そこで河合隼雄さんとはじめてお会いした。
それより以前、担当のSさんが「政治家を相手にわたりあうだけあって
柔和そうな顔でも、目つきはすごく鋭くて恐いときがありますよ」
と言うのを聞いていたから、どんな人だろう?とすごく緊張したのだが、
和気あいあいとした席に、やや遅れて現れた河合さんは
マスコミで見る通りの柔和で、ほがらかで、とても紳士的なお人だった。

ご兄弟やお嫁さん方、そして朋友のみなさんとのおしゃべりで、
河合さんの高速回転の頭脳から発せられる無数のジョークや
ウィットにとんだ会話で、こちらの緊張もどこへやら、
ただただ笑って目元のシワがおおいに増えたご対面になったのだった。

f0229926_2312414.jpg

河合隼雄さんは、戦前当時の地方にあっては、
めずらしくリベラルで、独特な信念を持ったご両親のもと、
男ばかりの6人兄弟でのびのびと育ったそうだ。
そんな家庭の中で、オルガンを弾くお母さんのおかげか、音楽は常に身近にあり、
兄弟それぞれが楽器をたしなみ、またカルテットを組み
友人の披露宴で演奏した写真なども見せていただいたりした。
そういえば、コンサート打ち上げの席でも、河合さんはみなさんと一緒に
いくつもの曲を歌っていらしたのが印象的だった。

翌日は、河合さんと一緒に、
すぐ上のお兄さんの「ミト」こと迪雄(みちお)さんのお宅にお邪魔して、
お二人からじかにいろいろとお話をうかがったのだが、
さまざまな思い出話を聞いているうちに、なんだか不思議な感覚におちいった。
何十年も前の出来事だというのに、その思い出の情景がとても新鮮なまま
こちら側にフワ〜ッと風のように伝わってきたのだ。
お二人はそのとき、過去の時間枠からはみだして
今を生きる「ミト兄ちゃん」と「ハァちゃん」そのものだったのだろう。

それから間もなく、河合さんは次の予定のために早く退座され、
その後、Sさんと私は「ミト兄ちゃん」の案内で、
河合兄弟が遊んでまわった一帯を何カ所か案内していただいたのだが、
この丹波篠山での取材が、後の挿し絵に
非常に大きな恵みをもたらしてくれたように思う。

f0229926_2313762.jpg

連載がはじまったとき、実は編集部の挿し絵方針は、
「モチーフはなるべく物や風景寄りにして
(イメージを限定してしまわないよう)人物は描かない」というものだった。
ところが丹波篠山から帰ったSさんと私は話し合って
物語に添うシーンで人物を描こうという方向に転向することにした。
編集部サイドにとっても、「ハァちゃん」を登場させずに
この先話を進めるわけにはいかなくなったのだ。

取材から帰って、私の中でも「ハァちゃん」はすでに動きだしていたと思う。
河合さんからの原稿がまわってきて目を通すごとに、
物語のシーンが勝手に(まるで映画のように)浮かんできた。
あとは、下手は下手なりに、
自分の持てる力を精一杯活かして絵にするだけだった。

それ以降、挿し絵の下図(ラフ)に修正などが生じたとき、
河合隼雄さんは、私にじかにお電話やファクスで
あたたかい励ましや得意のジョークとともに直しの指示をくださった。
本来のお仕事の他、文化庁長官として分刻みにお忙しい中で、だ。
ありがたかった。

f0229926_2314758.jpg

当初、物語は12回で終わる予定が、連載がはじまるや
なかなかの好評を得て、18回まで延長されることになった。
2006年の初夏を迎えるころ、正月号の特集取材のため、
ひと月ほど担当のSさんが海外出張に行くことになり、
河合さんはその間の3ヶ月分ほど(第12回まで)を先行させて
ずいぶん早く原稿を書き上げられたのだった。

そうこうするうちに、高松塚古墳壁画のカビによる劣化を
文化庁が隠ぺいしたという問題でマスコミが騒ぎ出し、
河合さんは文化庁長官として謝罪会見をされてまもなく脳梗塞で倒れられた。

「ハァちゃん」の連載は、その後も事前に書き貯めてあった分を掲載し続け
偶然ではあるが、当初の予定の全12回で終了した。
そして、倒れられてから一年近くもの間、河合さんの意識は戻らず、
昏々と眠られたまま2007年の7月19日に亡くなられた。
f0229926_11301425.jpg

生前に親しくしてお見舞いに行かれた方のお話によると
病床の河合さんは坊主頭で「まるでお上人様のようでした」ということだった。

私が丹波篠山でお会いしたとき、河合さんはお兄さんにむかって
「引退したらアッシジに行きたいんや。アッシジで明恵(について)を書きたい。
思う存分書きたい!それが夢や」と語っておられた。
「明恵」と「夢」は河合さんの生涯のテーマだったのだろう。

病床で意識不明の間、河合さんは
何人もの知人・友人の方々の夢の中に現れたそうだ。
私勝手に想像するに、河合さんは著書『明恵 夢を生きる』の夢の世界を
一年もの時間をかけて自ら経験しておられたのではないだろうか。
きっと憧れの明恵上人ともご対面したに違いない。
そしてとうとう肉体をおしまいにして、向こう側へと逝ってしまわれた。

それから数ヶ月後、新潮社から『泣き虫ハァちゃん』が刊行された。
結局、物語は未完に終わったのだが、もしあのまま続いていれば
「ハァちゃん」はたしか中学に行くあたりで終わるはずだった。
けれども、ひょっとしたらこの物語の先は
これを読んだ大人や子供の心に委ねられているのかもしれない・・・と
そんなコトを思わせるような終わり方をしている。

『泣き虫ハァちゃん』は、ありがたいことに、
このしがない挿し絵職人にとって、
生まれて初めてカタチに残るお仕事になった。
単行本の刊行から3年ほどがたち、
一昨年、文庫版としてもあらためて刊行されたのだが、
どちらも私の挿し絵のすべてを本文に添えていただいた。
いま見返してみると、自分の力不足が見えて反省も相当にあるのだが、
当時の私には、これ以上のものは描けなかったと、正直にそう思う。
しめくくりの挿し絵は、河合さんの新盆にと
私個人から「ハァちゃん」にあてて描いたものだ。

この本にかかわったすべての方に感謝したい。


f0229926_1130284.jpg

*イラストレーションの無断使用及び複製・転載をかたく禁じます

新潮社/泣き虫ハァちゃん
http://www.shinchosha.co.jp/book/125229/

Amazon.co.jp/泣き虫ハァちゃん
http://www.amazon.co.jp/泣き虫ハァちゃん-新潮文庫-河合-隼雄/dp/4101252297/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1275354889&sr=8-2
by team-osubachi2 | 2012-07-01 00:16 | 仕事をする | Comments(18)

初夏の彩り

我が家の「草むら園」こと
ベランダで育てている“野の草” たちも
初夏らしい彩りになってきました。

昨年移植したツユクサは意外と苦戦しました。
雑草といえども、そうそう人間のいいなりにはなってくれません。
さて、今年はどうでしょうか・・・。
いずれ、野に生えているツユクサ草の仲間も
うちの草むら園にも欲しいな~と思っています。


f0229926_10382782.jpg


自分の手に余る園芸種のお花は、ひと様の庭先を眺めて楽しみます。
今、ご近所の庭先では、見事なクレマチスが
にぎにぎしく花を咲かせています。
生け垣などになっているお茶の木もさかんに新芽を伸ばしています。
じきに新茶の季節ですね。

上のイラストは、以前いただいたお仕事から。


*イラストレーションの無断使用及び複製・転載をかたく禁じます
by team-osubachi2 | 2012-05-14 00:08 | 仕事をする | Comments(0)