カテゴリ:らくがき帖( 57 )

子供のころ、海外の昔話や物語の本を読むのが好きでした。
お話がいくつもの章で区切られていて、
ひとつひとつの章を読み終えるたびに
さあ!次はどんな展開になるんだろうと
すぐにその扉を開いて読み進んだものでしたが、
大人になるにつれ、自分の人生にも
そんな一章一章の区切りのようなものがあって、
気がつくといつの間にか次の章扉の前に立っているという
そういうことがあるのだと知るのでした。

思えば、イラストレーターとして将来どうなりたいか、
駆け出しの頃、心の奥におぼろ気に描いていたその道の
まさにその扉の前に立っていることに数年前気付いたのですが、
喜び勇んでその扉を開ける・・・というよりは
どうしてか、扉を開けるのが怖くて恐る恐るそ〜っと開け、
まごまごと扉のむこうへと一歩を踏み出し、
こわごわ歩みはじめた心持ちがする今現在です。

これから始まる新しい章は
いったいどんな展開になるのでしょうか。
つい足がすくみそうになる自分にむかって、怖がる必要はないと言ってみたり、
無理しなくていいよと言い聞かせたりする日もあります。
でも、スキップしたり速く走ったり
空を飛んだりもしてみたい ♪・・・と願うキモチもあります。
それは次の扉の前まで進んでいくうちに分かることでしょう。


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『扉のむこう』©Tomoko Okada


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by team-osubachi2 | 2016-07-10 22:38 | らくがき帖

三十代のある時期から、大きな仕事をいただいたり、
実家の両親が入院したりしても帰省してケアに勤しんだりして、
ある意味とても充実した日々を送っていました。

でも、どういうわけか、その忙しさにもかかわらず、
「何か、し忘れてる気がする」
「何か、やっていない気がする」
「いつまでも同じところをグルグルまわってる気がする」
という想いがキモチの奥底から浮び上がってきて、
気がつけばいつの間にかメビウスの輪の上を
ずーっとずっと歩いているような気がした時期がありました。

それがある時、ひとつの失恋をキッカケにして、とうとうそのメビウスの輪は破れて、
自分はドスン!と地べたに落っこちたような心持ちになったことがありました。
しばらくして、その暗い地べたで立ち上がり、ふたたび前へと歩き出したとき、
不思議とそのメビウスの輪はもはや感じられなくなっていました。

あの当時を振り返ってみると、
きっとあの頃の自分の足は宙に浮いていたのだろうなあ、という気がします。
足はやっぱり地べたにつけて歩くのがいいですネ ♪
つくづくそう思います。w

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『メビウスの輪の上で』©Tomoko Okada


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by team-osubachi2 | 2016-03-08 11:35 | らくがき帖

高村光太郎の詩『道程』の一節より

ーーー僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ 父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため この遠い道程のため ーーー

あるとき友だちと電話でおしゃべりしていて「後ろ」という言葉を耳にし、
ふいに自分の後方を振り返ってみるイメージが浮かんだことがありました。

あれ?・・・と思いました。
思いがけず、自分がこれまで歩いて来た道(過去ともいう?)に、
野の草のような花がいっぱい咲き乱れているのを見た気がしたからでした。

これまでの人生で花を咲かせたなどとと思えるようなことは特になく、
むしろシンドイなあとか、大変だなあと感じるコトの方が多かったように思うのですが、
(もちろん楽しいコトもいっぱいありますけどネ)
なんのことはなく、そのツライだのシンドイだのといった中にも、
いつの間にか、どこからか種がこぼれて芽が出て育ち、
振り返ってみれば一面に花が咲いていた・・・!
といったイメージがそのとき浮かんだのでした。

高村光太郎の有名な詩『道程』の一節にもあるように、
自分の前には花はまだ咲いていないけれど、
自分が歩いてきた道には花が咲くものなんだなあ〜・・・と妙に感動した覚えがあります。

今ここに立っている瞬間にこそ、種が蒔かれたのかもしれません。
他の人には見えなくても、自分だけがその後方に見ることが出来る花の群れです。


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『後方の花』©Tomoko Okada


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by team-osubachi2 | 2016-02-24 09:22 | らくがき帖

数年前のこと、私も人並みに郷里の両親を見送りました。
半年ちょっとの間に、父親、続いて母親が旅立ちましたが、
親の死に目に際し、「しっかりと見送りたい」というキモチはありましたが、
どういうワケか、泣かない自分、いえ、泣けずにいる自分にそのとき直面しました。

なんと、自分がこんなに哀しみに不器用な人間であったとは?!
どうしてもっと素直に泣けないのかしら?
これには正直戸惑いました。

そうして、母親を無事旅立たせた直後から私の体調が大きく崩れはじめました。
両足の裏じゅうに、両手の平じゅうに、わーっと涙水が出口を求めるようにして
袋溜まりに水疱ができました。
戸惑いと不安・・・。そして自分のカラダの不思議さと向き合う日々でしたが、
今はそれももう終わりました。

目から出られなかった涙水は、でも、どうにか蓮池にたどりつき、
蓮の花も咲かせることができたように思います。

不器用は不器用なりに・・・。それで良いのですね。
(そもそも哀しみに器用な人なんていませんし)
今はもうおだやかに落ち着いている両の手足です。



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『涙水のゆくえ』©Tomoko Okada


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by team-osubachi2 | 2016-02-18 13:17 | らくがき帖

女子が夢見る恋愛や結婚に願望はつきもののようです。
そういう私も、若いころは自分がどういう人間かということは
心の奥に棚あげにしたまま、自分にないものを
周りに求める気持ちがとても強かったように思います。

人それぞれに思い描く純粋で美しい夢や希望の中にも、
知らず知らずコンプレックスや願望などを織り交ぜながら
(場合によってそれは親が思い描く願望だったりもしますが)
いつの間にか自分の手でカラタチの枝をつむいで、
垣根はおろか、しまいには塔やお城を建てて
その中に住もうとしてしまう女子もいます。

でも、白馬の王子は云わずもがな、そもそもそんな棘だらけの壁を乗り越えて
「私」を塔から降ろしてくれる男子は現実には現われません。

自分に見合うお相手に出会うには、自ら紡いだカラタチの塔もお城も、
結局は自分で壊して等身大になるしかないのでしょう。
そのことに気付かないまま、今日も夢みる女子たちは
甘やかな夢と希望、コンプレックスと願望とをつむぎ続けます。



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『カラタチの塔』©Tomoko Okada


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by team-osubachi2 | 2016-02-13 00:21 | らくがき帖

ミュージシャンの中納良恵さんの好きな歌の中に、

ーーー空はいつでも待っているから 飛び立ちなさい 背中に羽根はあるーーー

という歌詞があり、何度か聴いているうちに、ふと、

もしかしたら、私も飛べるのかも?・・・と思ったことがありました。

たとえ今飛べなくても、空は自分が飛ぶのを待ってくれているのか・・・?!

これまで考えたこともなかった視点でした。

飛べるかもしれない。飛んでみようか・・・。

自分が思っているより、翼って大きいのかもしれません♪



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『空はいつでも待っている』©Tomoko Okada



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by team-osubachi2 | 2016-02-06 13:57 | らくがき帖

ようやく待ちかねた立春を迎えました。
年回りでいえば、今日から新しい丙申(ひのえさる)年のはじまりです。

個人的なおはなしですが、この二年ちょっとの間、
自分の身にいろいろなコトが起きました。
(これまでも起きなかったわけではありませんが・・・w)

例えて言えば、ちょうど冬の大雪に見舞われてしまい
山小屋に閉じ込めらたまま春が来るまでは
どうにも山を降りられないといった様子に似ているでしょうか。
時おり小屋を出て、はるかに見おろす遠くの人里は、
ところによって春爛漫で花が咲き、
またところによっては夏真っ盛りで、人が溌剌と動き回っているのに、
ここに閉じ込められている自分はいったいどうしたことかと戸惑うばかり。
たまに晴れ間があれば、それっ!と山を降りようとしても、
たちまち吹雪に見舞われて、すぐにまた山小屋に戻らざるを得ない
・・・といった具合でした。

けれども、その冬山にいた間、だれもが経験する人生の荒波や、
また、人生における休閑といったことについて学び得たことがたくさんあり、
ありがたさ、かたじけなさといった感謝の気持ちで今はいっぱいです。
時期が来たのでしょう、山小屋の外は雪融けがすすみ、
雪雲も遠退いて日差しも戻ってきている様子がうかがえるようになりました。

ああ、春が来たのだなあ・・・と感じます ♪

実のところ、この数年は体力も気力も大きく落ちこみ、
さらに追い打ちをかけるように両手足の大きなトラブルに見舞われ、
いっときは筆も箸も持てずに一年半ほどずっと手袋のお世話になっていました。
けれども、昨年の秋ごろ、自分の中に回復の兆しを感じ始める
その少し前からでしょうか、ちょっとずつちょっとずつ、
日をおきながら鉛筆や絵筆を持って紙に向かえるようになりました。

二年ほど冬ごもりをしていた山を下りるにあたり、
(実際にはもっと長い間だった気もしますが・・・)
しばらく絵筆を持てなかった私がリバビリテーションとして描いた
“自分の中に在ったもの”を少し日干ししようかと思っています。
ついでに、このさいブログのスキンもちょっと変えてみることにしました。

どうぞこれからも「丘の上から通信」をよろしくお願いいたします。

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「冬の終わり」©Tomoko Okada

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by team-osubachi2 | 2016-02-04 00:34 | らくがき帖

for PEACE CARD 2015

                 
" Try to keep your soul always in peace and quiet, … " Saint Ignatius



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今年もポストカードで参加させていただきます ♪

PEACE CARD 2015
Oct. 5 Mon.〜 10 Sat. at GALLERY HOUSE MAYA2
*この展示は終了しました


PEACE CARD ( Facebook )
https://www.facebook.com/Peacecard-396797627009471/timeline/

GALLERY HOUSE MAYA
http://www.gallery-h-maya.com

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by team-osubachi2 | 2015-10-03 22:34 | らくがき帖 | Comments(0)

ちょっと夏休み

暑中お見舞い申し上げます。

降ろうが照ろうが、ムシムシと暑い日が続いております。

今日は土用丑の日。

平賀源内の思うつぼにハマってこってりと鰻を食すもよし、

さっぱりとそうめんや冷や奴など食すもよし。

しっかりと食事を摂って、どうぞ元気にお過ごしください ♪

あ、それと水分補給もお忘れなくどうぞ。

みなさまにとってよい夏でありますよう。。。

                     岡田知子


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by team-osubachi2 | 2015-07-24 07:31 | らくがき帖 | Comments(0)

冬毛を脱いでピョン ♪

もうずいぶん以前のこと。
じきに春を迎えようとするある日のこと、
何の気なしに「冬毛の服を脱ぐウサギ」というイメージが浮かんだので
サラサラといたずら気分で描いてみたらば、
のちにそれは知人のつてで、
あるチャリティーのグリーティングカードになった。


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先月からゆっくり・・・本当にゆっくりと休みをとりながら
じっくりと体調の底上げを心がけていて、
(合間には発熱もあって、これまで発熱と無縁に近かっただけに
おたおたとうろたえたりもしたけれど・・・w )
おかげでずいぶんとカラダが軽くなった心持ちがする。

心持ち・・・と書いたけれど、そうそう、そもそも心の持ち方が
このひと月でずいぶんと変わって、軽やかになったような感じがする。

春がきたから?でも、悩ましい花粉症は?
そうねえ、今すぐじゃないかもだけど、
それもいずれ気に病まずにすむようになるっしょ。w

古い冬毛はあちこち擦り切れてたり、ゴミだらけだったり、
いつのまにか余計な脂でずいぶんと分厚くなってたみたいだけど、
もうそろそろ脱いでいいんじゃない?

えいさこらさ、古い冬毛よさようなら〜。
身も心も軽やかに、春へ、それっ!!


by team-osubachi2 | 2015-03-04 12:43 | らくがき帖 | Comments(6)