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***** 残暑お見舞い申し上げます *****

昨日の酷暑から一転して、今日は湿気ってはいますが曇天でしのぎやすいお天気の首都圏です。
ボランティアでこの丘の上の長屋のゴミ捨て場を取り囲む土手の草むしりをはじめて三年目の夏です。
甲斐あって今年は去年以上にたくさんのシロバナタカサゴユリのつぼみがスタンバイしていて、
このお盆休みにはいっせいに花を咲かせそうです。

白く清々しい花は一週間ほどで盛りを過ぎ、
下草の上にハラハラと花弁が散ったり、またはボソッとラッパごと落ちたりしますが、
花の終わりにも風情があることを教えてくれたのはこの土手のユリたちでした。
今年も種となるまで見守りたいと思います。

明日からお盆休みですね。
どなたさまもどうぞゆっくりとお過ごしになられますよう・・・。


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Flowers「シロバナタカサゴユリ2」 © Tomoko Okada

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by team-osubachi2 | 2017-08-10 14:09 | らくがき帖

Flowers「ササユリ」

先月のはじめ、早めにとった夏休みで奈良の高松塚古墳を訪れたさい、
古墳塚を取り囲むよう整備された国営の公園内は、梅雨も終わりかけで咲く花はあまりなく、
人気のない園内にひっそりと「ササユリが咲いています」と記された
ちいさな立て看板を見つけました。

え?ササユリ?・・・どこ?どこに?

ササユリにちょっとばかり憧れがある私は胸が踊りましたが、
よく見れば、盛りをすぎて花びらが傷みはじめた花が一輪あるだけで
ほとんどは開くまでまだ一日、二日ほどかかりそうな蕾だったり
すでに咲き終えて花芯だけが残ったものだったりして、
ちょうどいい花はひとつも咲いておらず、ちょっぴり残念でしたが、
花の少ない時期にこのササユリがいくつも咲いたところは
濃く茂る緑の中、そこだけ光に照らされたような華やぎが見られたろうになあ
・・・と想像して帰ってきました。

ササユリは憧れです。
いつかきれいに開いた薄桃色のササユリの花弁にそっと触れてみたい・・・と思っています。


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Flowers「ササユリ」© tomoko okada

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by team-osubachi2 | 2017-08-07 09:15 | らくがき帖

「八朔」

今日は八月一日。
一日を「朔日」を書いて、八月朔日。
略して「八朔(はっさく)」という祭事があることを知ったのは大人になってから。

なぜお世話になっている方々へご挨拶にうかがうのか
ネット時代に入って検索してみて初めて知りました。w

古の農民が早稲の初穂を恩人へ贈っていたという「田の実の節句」という意味合いから
なるほど「たのみ(頼み)」にしている方の御恩に感謝するという風習になったとかなんとか
そんな風に記してありました。

地域によっては旧暦に五穀豊穣などのお祭りをするところもあるそうですが、
実りを実感するのは、やっぱり旧暦の方でしょうか。

今日は京都などあちらこちらの花街でも、礼装の芸妓らが
日ごろお世話になっている先様へ行き交う華やかな一日になるそうですね。


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「八朔」© tomoko okada

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by team-osubachi2 | 2017-08-01 09:41 | らくがき帖

Flowers「ドクダミ」

なんと今日で7月もおしまいです。

いったいいつの間にそんな季節になってたの?
・・・なんて思うくらい季節がはやく過ぎてゆきます。

昨日、訪問先近くの路傍にドクダミが生えているのを見つけました。
あんなに可憐だった花芯は茶がかって、
濃くて美しかった緑色の葉はもうあちこち赤茶が滲みて焼けていました。

今年も清楚で可憐な花を楽しませてくれてありがとう。また来年も愉しみにしているネ♪



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Flowers「ドクダミ」© tomoko okada

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by team-osubachi2 | 2017-07-31 11:42 | らくがき帖

ーーー野の百合はいかにして育つかを思え 労せず紡がざるなりーーー
という言葉を知ったのは『赤毛のアン』シリーズの最終巻『アンの娘のリラ』を読んで。

その言葉の宗教的な意味合いを私は知らないし、別に知らなくてもいいのだけど、
ほんの少しだけ知り合った「あの人」は、自らは紡がず、けれども紡ぐ人たちのために
労して立った人だったのだなあ〜・・・と思ったら、この一節を思い出した。

バイバイ、ちゅうさん。いつかまた会えるかもしれないよね。
どうぞ安らかにっていうより、どうぞよい旅を!って言いたい。


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「シロバナタカサゴユリ」© tomoko okada

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by team-osubachi2 | 2017-06-05 15:58 | らくがき帖

先だって描いたRehabilitation-12『灯火がひとつあればいい』では
それまで打ち上げ花火みたいな恋をくり返してきた自分が、もうこりごりして、
派手でなくてもいい、自分にはいつもそっと照らしてくれる灯火が
ひとつあればいいのだと思ったことを描きました。

その灯火は、きっとどこか知らない町にいる「お相手」の灯火ともつながっていて、
いつか必ず出会えるとかたく信じていました。
やがて時期が訪れ、自分が信じた通りにその場所へと誘われ、出会い、今に至っています。

今回、その Rehabilitation-12 で描いた絵を、ひとつの試みとして、少し整理し、
ふたつに分けてあらためて描いてみました。

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『どこか知らない町の灯りと』© tomoko okada

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絵として成功したかはまったく分かりません。むしろ失敗しているかもしれません。w
でも、いいのです。これは数年前に罹った手足の病を脱し、
再出発するために描いた自分のためのリハビリ絵なのですから・・・。

このふたつの絵を描き終えてしばらくしてから、面白いことに、
これは単に恋愛ばなしのひとつとして、どこか知らない町にお相手がいる
・・・ということだけでなく、仕事であれ、友だちであれ、
これから先出会うかもしれない様々な人たちの灯火とも
自分の灯りは繋がっているんだろうという考えが浮かんできました。

きっと、心に浮かぶ通りに、これからの私はまたあらたにいろんな人たちに出会い、
たくさんのことを体験してゆくのだろうと思います。
絵の中はまだ夜ですが、自分の中ではこれは夜明け前なのだという気がしています。

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『わたしの灯り』© tomoko okada

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一年以上かけて描いてきたRehabilitationシリーズはこれでおしまいになります。
拙い作品ですが、これまでご覧くださった方々にこころからお礼を申します。
一連の作品を見てくださって、どうもありがとうございました。

そして、さあ!次の章へと歩みを進めることにいたしましょう!

感謝をこめて

岡田知子

by team-osubachi2 | 2017-05-26 08:11 | らくがき帖

「うん。だいたい分かった。『じゃ、自分はどうなのよ?』ってことだよな」
今から十数年前、その人は私の個展を見にいらして、こう言いました。
私の顔に一瞬はてなマークが出たのを見て、その人はもう一度穏やかな口調で言いました。
「自分はどうなの?ってことなんだよ」

この時の個展では過去に旅した国々で出会ったり見かけたり人たちを描いて発表したのですが、
思いがけずその人はお祝いのワインを片手に一人でふらりとギャラリーに現れ、
ざっと作品を見てまわってからそう言葉を残して去ってゆかれました。
言われた言葉に戸惑いつつも、ひと言も言い返せないくらい何か核心を突かれた
・・・ということだけはハッキリとわかりました。

個展の二年ほど前だったでしょうか。
思いがけず広告業界の大御所コピーライターのその人からご指名いただき、
とても大きな仕事をさせていただいたのですが、
室内の雑貨小物や料理などを描いたシリーズ第一弾は好評だったのか
思いがけず第二弾も発生したまではよかったのですが、
今度はモノのほかに人物も描いてもらわないといけないが、岡田さんは人物が描けるの?と
間に入って仕事をすすめてくださったデザイナーさんを通して訊かれました。

ドキン!としました。当時の私は、人物は「形は描けるけど、どうも苦手」だということが
自分でもだんだんわかりはじめていたころでした。
私が描けるのはせいぜいお人形みたいな「形」だけ。
それならいくらでも描けるのに、どうして「人間」は描けないのだろう?
人物を描くことに腰が引けるほど、それはいつの間にか大きなコンプレックスになっていました。

けれどもこれは新聞広告の仕事でしたから、すでに締め切りは待ったナシ。
どうにかこうにか人物も描いて提出し、二度にわたる大仕事は無事に完了しました。
結局その大御所先生とは一度もお会いすることもなく終わったのですが、
のちに個展をひらくさい、ご案内だけでもと大御所先生にもDMをお送りしておいたのでした。
お忙しいだろうし、たぶんダメだろうと思っていたのに、案に相違してその人は来てくださいました。

「あの第二弾のときに、実は俺はデザイナーに“このコは人物描けないよ”って言ってたんだよ。
作品ファイルでも人物描いてあるの見た事ないしね。
で、来てみたんだけど、うん、今日見て、だいたいわかった。
やっぱり『自分はどうなの?』って事なんだよな」とお話してくれました。

よくわからないけど、なんだか禅問答みたいだなあ・・・と思ったその言葉は、
ずっとずっと私の心の中にピンで留めたメモのように貼り付いていたのですが、
数年後、とある失恋をキッカケにはじまった“自分と向き合う日々”の中で、
ある日アパートの台所に立って夕飯の支度をしている最中に
突然言われた言葉の意味が分かったのでした。

「自分を見失っているような者に、人間など描けるのか?」

瞬間、顔から火が吹き出たかと思うくらい真っ赤になったのがわかりました。
自分の裏側を完全に見透かされてしまったことの恥ずかしさ!
“穴があったら入りたい”とはこういうことを言うのでしょうか?!
一人きりの台所で、恥ずかしさのあまりしゃがみ込んでしまったほどでした。

いつからそんなことになっていたのでしょう?
気がつかないままのコンプレックス、上昇志向や見栄、または背伸びというものでしょうか。
私は、私という人間の本心をどこか遠くにすっ飛ばして、
何年も自分の中を空っぽにして、頭だけ小賢しく働かせてきたようなのでした。

いったい私の本心とはどういうものなのでしょう?どこにいっちゃったのでしょう?
考えてもさっぱりわかりませんでしたが、ありがたいことに「本心の私」は
はるか遠い空中に追いやられていても、細い細い糸の先に必死につかまって、
ちゃんと私に繋がっていてくれたようでした。

顔から火が出る思いをしてひと月ほどたったある朝、
これも突然、本心の私がシュッと私の中に戻って、あ!ひとつになった!と思った瞬間がありました。
ああ〜、自分が自分に戻ってきてくれた!ありがとう!本当にありがとう!
不思議なことに、歓喜と熱い感動が私の中で起こりました。
そして、もう自分から目をそらすのはやめよう。どんなに気に入らないところがあっても、
自分だけは自分の味方になってあげよう!と、そのとき心に決めました。
すでに不惑の四十代に突入して数年がすぎていました。

たぶんもう覚えていらっしゃらないだろうなあ〜と思いつつも、
個展のときにいただいた言葉と、その後ようやく言われたことの意味を悟ることが出来た
感謝の気持ちをしたため、お礼のはがきをのちにその人へお送りしました。

ーーー『じゃ、自分はどうなのよ?』ってことだよなーーー

そう言ってくださったのはコピーライターの仲畑貴志さんです。
あのとき仲畑さんからからいただいた言葉は、私の宝もののひとつとなっています。


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『私と本心』© tomoko okada

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by team-osubachi2 | 2017-05-21 20:27 | らくがき帖

それはどこか見知らぬ海辺の岬のはしっこ、、、といった景色でした。
よく晴れていて、春めいた淡い空色に雲がいくつも流れていきます。
心地よい海風に足もとの草がそよぎ、そこにポツンと座る自分の後ろ姿がありました。

あるとき、いつまで海の向こうばかり見てるんだろう?・・・と不思議に思いました。
以前のように崖から暗闇の谷底へ転落した時期とは違い、
まわりの景色はおだやかで明るくのんびりしているのに、
自分の後ろ姿はひとりぽっちで水平線のはるか向こうを見てばかり。
そんな心象風景が何日も何日も続くうちに、そうか、
今の自分は静かにしみじみと孤独なんだ・・・と気がついたのでした。

そうこうするうちに、巡り巡っていまの相方に出会ったのちのある日のこと。
いつものように岬の端っこに孤独そうな後ろ姿が見えているなあと思った次の瞬間、
私自身がその孤独そうな自分にむかってズンズン歩いていき、
手をかけたと思ったら、その後ろ姿を軽々と持ち上げ去っていったではありませんか!?
えー?どゆこと?
今まで見ていた孤独な後ろ姿は、なんとただの「書き割り」でした。
なんだ、この孤独な姿って自分で描いていたのか?!
自分の中の心象風景といえども、その展開に思わずポカーンとしてしまいました。

そこで思ったことは、孤独とは、他によってではなく
“自分で自分をそのように描いている”だけなのかもしれないなあ〜ということでした。
もちろんケース・バイ・ケースでいろんなパターンがあるのだろうと思いますが、
そう、自分の孤独なんて、まわりの人間には関わりのないことですし
近しい家族や親しい友人たちでもときには手に余る代物ですから、
出来ることなら、自分で描いた孤独は(もちろん周りの手助けを受けながらも)、
いつか自分自身で片付ける方がいいのですよね。
、、、なんて、十年ほど前、そんなことを実感した時期がありました。


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『孤独を描く』© tomoko okada

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by team-osubachi2 | 2017-04-23 09:59 | らくがき帖

今年のはじめに放送していたドラマ『東京タラレバ娘』。
結婚が遅かった私には、タラレバな女子三人のいくつものシチュエーションや台詞が
自分の二十代から三十代アホアホ時代の記憶にいちいちグッサリと突き刺さり、
「あ〜わかるう〜うう〜、そうよね、そうよね、私もそうだった」などと
気がつけば、テレビに向かってああだこうだ喋るオバハンと化していました。

若いころの私は、自分の家庭環境もあってか
「一生仕事していくもん。食べていけタラ結婚なんかなくていい、恋愛さえしていられレバ」
・・・なんてうそぶいていましたが、三十代も終わってとうとう四十代になったある晩、
就寝前のひととき、いつものようにベッドで温かいミルクティーを飲んでいたときのこと。
突然嚥下がヘタクソになって、紅茶が喉に詰まったではありませんか?!
慌ててベッドから出たところで、あろうことか口の中の紅茶を床に吐き出してしまいました。

どこかで犬がワオーーン・・・とは吠えませんでしたが、副都心新宿にもほど近い渋谷区のはずれで、
夜中の丑三つ時、なんとも「とほほ」なキモチで床を雑巾で拭きながら、
情けないなあ、いったい自分は何をやってるんだろう?
ああ、こんなとき背中をさすってくれる人がいてくれたらなあ〜・・・。
それよ!それだわ。独り暮らしはもういい。もう充分やったわ。
これからは背中をさすってくれる人と二人暮らしを経験してみたい!
・・・と、それは正直な心の叫びでした。

あるとき、コピーライターをしている既婚友だちに
「あなたの恋バナは(私みたいな)主婦の娯楽よ」と言われたくらい、
それまでの他愛も無い恋愛は、振り返ってみればまるで打ち上げ花火のようなものでした。
シュッとあがってドーンと破裂し、まばゆく輝いたと思ったら
すぐに燃えカスになってバラバラと地面に落ちてくるばかり。
あいたたた・・・、そんなイタイ花火はもう要らない。
ちいさくていい、ずっとそばで私を照らしてくれる灯火がひとつあればいい。
心の底からそう思った真夜中の床掃除。ようやくお相手を探すことを決意した夜でした。


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『灯火がひとつあれば』© tomoko okada

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by team-osubachi2 | 2017-04-15 08:49 | らくがき帖

Rehabilitation-11『鼻柱』

それまで務めていた広告制作会社を辞し、
バブル崩壊の世に二十代半ばでイラストレーターとして独り立ちしてからも、
いつの間にか四半世紀以上がすぎました。
家賃をはじめ必要な支払いと生活費が毎月毎月追いかけてきて、
楽ができた覚えなど一度もありませんが、
それでも腕一本脛一本、イラスト仕事だけで食べてこられたというのは
今思うとなんと夢のようで有難いことだったろうと思います。

ことに三十代のころは広告でも雑誌でも大きなお仕事をいただき、
勢いにのって、いっぱしに仕事が出来るような気になっていたものです。
けれども、時代の波というものでしょうか、
人生のターニング・ポイントを経てのちの自分の仕事ぶりといったら、
まるで迷路をさまよう鼠のように右往左往するばかり。
そうして自信を失くしていったあるとき、自分の鼻柱はボキッと折れてしまっていました。

あ・・・と思いました。
いったいいつの間に自分は「いっぱしに仕事が出来る人間」だなんて
そんなことを思い込むようになっていたのでしょう?
身動きのたびに壁のあちらこちらにぶつかって邪魔でしょうがないもの、
いってみれば意味をなさない自分勝手な矜持のような長い鼻柱が折れてしまうと、
面白いことに、その下には自分本来の鼻がちゃんとついていたではありませんか。w

長くもなく短くもない自分本来の鼻柱。そして気がついたのでした。
知らず知らず長くのびた自分の鼻柱を圧し折っていたのは、なんと自分自身だということを。
息をするのも身動きするのも楽で、自分本来の鼻柱でいるってなんて快適なんでしょう!

でも、気をつけないとピノキオのようにすぐにまた伸びてしまうかもしれませんが、
そのたびに自分で圧し折れる自分でいたいと思います、これからも。


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『鼻柱』© tomoko okada

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by team-osubachi2 | 2017-04-11 22:00 | らくがき帖