2017年 11月 28日 ( 1 )

草も木も

以前は渋谷区のはしっこ、新宿副都心へも、少し足をのばせば渋谷へも歩いてゆける町から
(とはいえ、そこは昔から職人さんらが多く住んでいた庶民的な町)
この丘の上のいまの住まいに越してきて、ほぼまる八年がたとうとしている。

丘の斜面の公園にのんびりゆったり生える木々や、背丈も立派に育つ雑草
・・・もとい、野の草の勢いがまるで違う場所に越してきて、
それ以前の自分と今の自分とで何が違ったかというと、
「植物も生きもの」という視点を持てるようになったことかも。

うちのベランダで最初に育てたのは、近所の猫じゃらし(エノコログサ)をひっこ抜いてきて鉢に移したもの。
まずしょっぱな、ほんの数分のことでも、根っこのまんま持ち帰ると、
草は弱るということを最初の猫じゃらしから教えてもらった。
それ以降も、いろ〜〜んなことを近所の草たちが教えてくれた。

野の草は独立心が強い。
こちらの思うように育ってくれそうでいて、結局云うコトをきいてはくれないことも度々。
移された先の環境にも敏感に反応するから、あれやこれやを移植してみても
やっぱりうちのベランダの環境に適う草しか育たないことも野の草たちから教えてもらった。

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おそらくそういうことは、草だけでなく樹木もそうなんだろう。

↓つい先日知ったひとつの出来事。

感情を抜きにすれば、どちらの側の意見もわからないではない。
この議論が起き、この出来事に注目した人みんなが考えるキッカケになるなら、
もしかしたらそれがこのあすなろの樹が持って生まれた役目なのかもしれないし。

一方で、感情を込めていうのを許してもらえるなら、
そもそも郷里の富山から持ち出されたことが哀しいし、エラそうなことは言えないのだけど、
建具職人のムスメとして育った者として、この樹齢150年というあすなろの樹の末路が
どう考えても「木材として活かされない」としか思えない代物になるのがなんとも残念至極。
(その後の報道によれば一部は鳥居として寄進されるという話もでてきている)

数年前に一度ちいさなボケの盆栽鉢を買ったことがあった。
花をふんだんに咲かせた翌年考えなしに植え替えたら、しばらくして木が細りはじめた。
あ?!と思ったときにはもう遅かった。知識も技術もないため、ボケの木は枯れてしまった。
だんだんに細くなってゆく姿は、それこそ魂が抜けてゆくのを見てるみたいで、
自分のせいでこうなっちゃったのか・・・と、やるせなさを味わった。

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「草むら園」と称してうちのベランダで育ててみているわずかな草木たち。
ちゃんと手をかけたり、ただ見守ったりしながらつきあうこと七年あまり。
数年前に買ってきた足摺野路菊。植え替えて二年目の今年は今までで一番元気で、
一番多く花を咲かせてくれた・・・ありがとう♡素直に嬉しい。
あんまり園芸向きではない私だけど、少しは彼らのために役立ってあげないとね。

草も木も生きもの。
人類よりはるかな太古から生きてる彼らから見れば、人間なんてほんのひよっこよネ。w
彼らをコントロールしてるようで、実は踊らされているのは人間のほうかも?って思う。

by team-osubachi2 | 2017-11-28 10:43 | 生きものの世界 | Comments(0)