2016年 12月 19日 ( 1 )

年の瀬の寛ぎの茶会へ

先週末の日曜は前の日に続いてこれもおだやかに晴れた一日だった。
私の今年のイベントの最後を飾ったのは「S先生のお茶会」であった。

「着物はどれをを着ようかしら〜?」・・・などと言えるほどの選択肢はない。
がしかし、いま時分ならクリスマスめいた気分があってもいいかな?と
箪笥から出したのは友だちのご親戚からいただいた昭和のモダンな付下げ。

半世紀以上たった今でもつややかで手触りがよくて、
個性的だけれど「ヨダカの星」と名付けて着る大好きな一枚である。
(私の箪笥の中身は少ないけれど、でもどれも大好きなものばかりなんだ〜♪)

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古手の、でも、これもどこかモダンな焼箔の袋帯をあわせてみた。

・・・うん、はじめてあわせてみたけど、悪くもないかな。

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集まった皆さんとのランチタイムが済むまでは、
こんなのぶら下げておいてもいいわよネ?w

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毎回心を尽くして釜をかけてくださるS先生の寛ぎの茶会。
ほんのこの数年のことだけれど、年に一度うかがうようになり、今年も楽しみにしていた。

今回は港の見える丘公園内にある大佛次郎記念館でひらかれたので
以前からのお仲間の方々と四人集い、和やかなお席で一服をいただいた。

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今回も頭の中にどんな茶室にどんなお道具やお菓子であったかは
頭の中で映像を再生するかのように思い出せるのだけれど、
先生がそれぞれご説明してくださった単語の数々はとんと頭に残っておらず、
ただ美味しかった、ただ楽しかった・・・と、
年々「むかし茶道を習っていました」などとは到底言えないような
お粗末な有り様になってきたのが情けない。

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床のお軸には、どなたの手によるものかお名前を忘れてしまったが
「山窓無月一燈明」・・・とあった。

ーーー山窓月無く一燈明かなりーーー
月もない山の家に窓あり、ひとつ灯が明るい、という意味らしい。
傍らの砧を模した花器に活けられた花は、
赤い侘助と、それへふんわりと積もる雪のような綿花だった。

床を拝見するうちになぜか一幅の画を見ているような気持ちになった。
その画は・・・どうも自分の心の中のある情景と重なって見える。

どういう情景かというと、一昨年の夏大きく体調を崩し、
両手両足が不自由になって思うように動けなかったとき、
いつのまにか私は心の中でひとつの景色を描いていたのだけれど、
それは自分ひとり山深いところにある小屋にこもって越冬しているというものだった。

たまに天気が良いと、遠く見はるかす人里は春や夏をむかえて人々が明るく活発に動いているのに
自分だけはいまだ冬の山小屋に押込められているのはなんとしたことだろうか。
私もはやく人里へゆきたい、ゆかねばならぬ!と小屋を出ようとすると、
とたんに嵐や吹雪に見舞われて、またすぐに小屋へ引き返さなくてはならず、
嗚呼とため息をつきたくなるような日々。

そんな毎日をくり返すうちに、ようやく自分にとって必要なことは「休む」ことだと悟り、
春がくるのを待って山を下り、ふたたび人里で活動を再開し今に至る・・・。
そういう心の中の情景がこの日のお茶席の床を見て蘇ってきた。

面白いのは、たとえ自分にはつらい山籠もりの間であっても
その山小屋の囲炉裏端の灯が窓からもれて、
同じように暗闇の山中で迷う人にとってはそれが明るく見え、
かすかな道しるべのようになる事もあるかもしれない
・・・というところまで思えたことだ。

人生にはこういう経験も不可欠で、つらい時期に得たものが
だんだんとても意味深いものになってきているように感じる。

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・・・なんて、ね。

慌ただしい年の瀬におとずれた和やかなひととき。
自分と対話するヒントをいただけたお茶会だった。

ご一緒したみなさま、S先生と社中のみなさま、どうもありがとうございました♡

by team-osubachi2 | 2016-12-19 23:22 | 着物のこと | Comments(6)