2016年 09月 20日 ( 1 )

秀山祭九月大歌舞伎へ

先週、着物に着替えてからお友達の個展やら展示会からをまわったあと
何年ぶりかで一人のんびりと歌舞伎見物を楽しんできた。

この数年(ことに結婚してからというもの)年に一回ほどしか足を運ばなくなり、
それも人さまのお世話で切符をとってもらっての見物ばかりだったせいか、
?年ぶりに自分で切符を予約し、銀座へ出たついでに
歌舞伎座へその切符を引き取りに行ったときには
「あれえ〜?ない!ないぞ!前はここ切符売り場だったのに何処へ行った?」
いまだ旧館の配置に体が反応してしまい、馴染みの薄い新館にまごつくといった有り様である。


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取った座席は昔から馴染みの天井界の席。
とはいえ、新しい小屋の良さは、少しだけ広くなった座席と
両花道に立つ役者のお顔がかろうじて見えるという設計。
そこに感謝しつつ、大好きな演し物の見物に身を投じるのである。

夜の部、眼目の『吉野川』・・・歌舞伎で観るのは十何年ぶりかも。
二十代でまだな〜んにも古典芸能のことはわからないくせに
はじめて歌右衛門さんと吉右衛門さんとで観たそのときから
大好きな演し物のひとつになった。

実にしんきくさいお話である。でも、このしんきくさいお話が好きなんだ。
現代の視点で見たのではつまらない。妄想力というのは、こういうときのためにある。
なにせこのお話が世に出た時代を思えば、互いにお主のためといい、お家のためといい、
親が取り決めた婚姻ば〜っかりだった時代だもの。
いったいどんな世の中だったかを、ワーーーッと脳裏に描くのである。
そんな封建時代に、こんな相思相愛な若い男女の恋を
親ががんじがらめのしがらみの中で全うさせようと思うならこういう形しかないじゃん?!
娘の健気な貞女の操の願いを、母は死でもって叶えさせてあげるしかできないなんて、
嗚呼、なんて哀しいファンタジー・・・!と、大和屋さんと音羽屋さんの
母娘の愁嘆場で思わずほろりと貰い泣き。

吉右衛門さんの大判事はもう何も云うコトがない。
頭のてっぺんから足の先まで手持ちの古いオペラグラスで見られるだけでいい。
この人一途に、いつの間にか人生の半分以上を贔屓にしてきた今、
むさぼるように追いかけたりしなくても、
若いときよりかえって今の方が深く味わえている気がする。
数は少なくてもいい、ひとつひとつ観られる舞台を
心に仕舞っておきたいと思うようになった。これも年・・・かなあ〜。

幕間には、某百貨店の地下で調達する天むすのお弁当♡
年イチくらいしか行かないとなれば、毎度好きなものを飽きるまで食べるわ〜♪

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そのあとの『らくだ』と『元禄花見踊』はなーんにも考えず、
ただ暢気にふんふん♪と観賞するだけで十分満足。
で、舞台がハネてみれば、あら?終演、えれえ早くないですか???

四半世紀ほど前は、もうひとつくらい演し物があって、
ともすると夜の九時半すぎなんてこともよくあったけれど、今どきはそんなもの?
地下に降りて、余韻に浸りながら珈琲を一杯・・・。ふう〜♪
ひと息入れて帰れるとなれば、これくらいがちょうどいいのかもねって思っちゃった。
一人ゆったりと羽根を伸ばした夜であった。

by team-osubachi2 | 2016-09-20 18:13 | 出かける・見る | Comments(4)