『沈黙』という小説と映画

ふとしたキッカケで、ワケもわからずある物事に引き寄せられるということがある。

去年たまたまテレビで見ていた旅ものだったか歴史紀行ものみたいな番組の中で、
ポルトガルの、あれはポルトの街中でのインタビューで、
日本で知ってることは何かありますか?といったような質問をされたのだろうか
ポルトガル人のとあるおじさんが
「遠藤周作の『沈黙』を読んだことがある。とても面白かった」と言っていた。

と、そのひと言で、突然自分の中でちいさな種火が起きたみたいに
「遠藤周作の『沈黙』って何?」ということになったのだった。

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狐狸庵先生・・・遠藤周作。
文学に疎い私はそのご高名は知っていても作品は知らない。
一度だけ『海と毒薬』だけは読んだ筈で、奥田瑛二さん主演の映画も見た筈だのに、
いやもう、まったくと言っていいほど記憶がない。

『沈黙』・・・読んでみようかな?と、古本で一冊手に入れたところで
これまた偶然テレビで『ルーアンの丘から』という
遠藤周作さんが戦後まもなく渡仏留学した青春時代についてのドキュメンタリーを見た。
知らないことばかりだったが、へえ〜なんだか面白いぞ、遠藤周作という人は、と思った。

(余談ながら、子供のころ、ある本で読んだ部分に、狐狸庵先生、
あるときかのD・スカルノ夫人にむかって
「あなたはおならをしますか?」という不躾な質問をぶつけたら、
D夫人は「あら、わたくし、おならいたしますわ」と平然と答えたという
珍妙なエピソードだけ妙に覚えていたりする)

・・・と、そんなことを思ううち、今度はその『沈黙』を
かのマーティン・スコセッシ監督が映画化しているという情報を目にした。

なぜだかわからないけど、これはもう『沈黙』を読めっていうことなのだろうと思い、
映画の公開までに間に合うよう、去年の暮れからちびちびと読み進めている。

去年の暮れに映画予告をFacebookでシェアしたところ、
『沈黙』を若い頃に読んだという人たちから、この作品の内容の重さに
少々トラウマにもなってしまったというコメントをいただいたりして、
うっかり自分の妄想でキリシタンが受けた拷問に読む前からたじろぎそうになった。
けれども、文学者と監督の人間を見る眼差しはもっともっと深そうだ。

そして、たたみかけるようにこの正月2日、
映画公開に先だってのドキュメンタリー番組が放送されたので見てみた。
見終えて、ふと、もしも私が若いときに読んだなら、この作品の奥深い世界へたどり着く前に
残酷な痛みや苦しみにばかり目がいってしまったかもしれない・・・と、そんな気がした。

まだ途中までしか読んでいないのでなんとも言えないが、
小説を読み、映画を見て、遠藤周作先生とマーティン・スコセッシ監督描くところの
“人間像”を見てみたくなったのかもしれない。
今が自分にとってこの作品と出会う「時期」ってことなのかもしれないなあとも思う。
若いときには縁がなくて正解だったということか。
映画の公開は今月21(土)からだそうである。



『沈黙ーサイレンスー』HP

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この週末にドキュメンタリーの再放送があるので、ご興味のある方はご覧ください。
(*ただし内容には「これってネタバレね?」というところもあるのですけど)

BS1スペシャル「巨匠スコセッシ“沈黙”に挑む〜よみがえる遠藤周作の世界〜」/NHK BS1
*1月7日(土)午後7時より再放送(110分)

Commented by 朋百香 at 2017-01-05 22:59 x
tomokoさま
うーん、重いなぁ〜。作品としては観てみたいけど・・・。ちょっと重すぎるなぁ・・・。宗教を考えるといつも、重苦しい気持ちになって、なーんか違うなって思ってしまいます。未だに宗教で戦争がおきるけど、それって本来の信仰とはかけ離れた行為ですよね。私は自分なりの信仰があるけど、宗教は好きになれない。たぶんこのテーマは私にとって語りたくないものの一つだな〜。結局は人間の驕りとしか言いようがない。
Commented at 2017-01-06 11:48 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by team-osubachi2 at 2017-01-06 21:58
朋百香さん
いやホント、個々の純粋な信仰はまた別として、宗教って厄介なしろものですね。
そもそも、なんで人類は宗教を持つのでしょうかね?

ただ、この作品は、狐狸庵先生もスコセッシさんも、時代と宗教を軸にしてはいても、描いてるのは人間なのだろうと想像しています。
ドキュメンタリーの中で、狐狸庵先生は、殉教者となることも出来ず、ついには棄教し、歴史上から忘れられ埋もれてしまった(いわば負け組みとでもいいますか、そういう)人も同じ人間として見つめ、その歴史の灰の下からふたたび蘇らせ、立たせ、歩かせることができるのは文学者にしか出来ない事だと書いていらっしゃるのを紹介していて、そこにグッときました!!
いつ頃からの事か、私、人間が一番興味が尽きないと思うようになりました。
文楽も歌舞伎も落語も、お話の筋よりも描かれている人間模様が私には面白いのかもです。ことに浄瑠璃などのしんき臭〜い話には、目を背けたくなるような人間の業の強さとか心の弱さとか、不条理なお話ばっかなんですけど、だから惹かれているのかも?
、、、なんて台所仕事をしながら夕べ思いました。笑
Commented by team-osubachi2 at 2017-01-06 22:28
鍵コメントさん
コメントをありがとうございます。
まあ、鍵コメさんは長崎にお住まいなのですねえ〜。去年の秋ごろにやっと読書を再開したとき、まあ読みかけだった吉村昭さんの「ふぉん しいほるとの娘」から読んでいたのですが、なにせ長いお話にこちらが遅読なので、またまたそれは中段しておいて、先に『沈黙』を読んでいます。偶然ながらどちらも長崎が舞台ということもあり、やっぱりいつか行ってみたい街であります。
明日再放送のこのドキュメンタリー、よかったらぜひ見てみてください。しかし、公開までにはなんとか読了させたいです〜〜!(^ ^;;

Commented by みどり at 2017-01-07 14:17 x
私もあのドキュメンタリーを観てました。
「沈黙」も若い頃に読み、重すぎて敬遠したいと思った口です。
ただ、あのドキュメンタリーを観ていて『そうか』と思うこともありました。
例えば、遠藤周作自身が語っていたこととして、宗教の話として「沈黙」を読むのではないということ。
宗教とは関係なく、人は必ず信念を曲げざるを得ないと思う時があるということ。
職場で誰かが虐められている時、それに「おかしい」と声を挙げる難しさ。
声を挙げたら、確実に自分が次の標的にされ、それまで友達付きあいしていた人達も失い、いたたまれなくなって職さへも失うかもしれないという状況。
今でも普通にある状況です。
たいていの人はそんな時、虐められている人にはそれなりの問題があるからと考えることでその状況から目をそむけます。
それは無自覚の弱さなんだけど、自分は虐めに加担しないという信念は崩れてしまっているのです。
生き残る為に、信念は崩れてしまっていい。
でも自分の弱さには目をそむけないで、とことんみつめましょう、それだけが自分の人間性の証なんだから。
どうしようもなく弱いキチジローこそ私達なんだからと。
ドキュメンタリーを観て「沈黙」はそんなふうにも読めるのかなって思いました。
Commented by team-osubachi2 at 2017-01-07 18:01
みどりさん
なかなかいい番組でしたよね、このドキュメンタリー。公開される映画と双方を見れば、また作品の感じ方が変わるんじゃないかって思うような番組だな、と。
みどりさんがおっしゃることも、人間の一生のうちにはかならず大なり小なり起こることなんだろうと思いました。スコセッシ監督が最後におっしゃっていたことのように、自分の内面へ向き合うことができるか否かはとても大切なことなんだと私も思うようになりました。

しかし、私の周りではけっこういらっしゃるのですね〜、若いときに「沈黙」を読んだという方々が・・・。若いときに読んだ感想はそれはそれで良いものですよね。もう読みたくないと思ってもいい、忘れてしまってもいい。でも、もしもその人にとって必要なものが内在していれば、いつかきっとまた手にとることになるんじゃないかって、そんな気がします。
Commented by phenix at 2017-01-08 09:46 x
おはようございます
コメ欄を見てびっくり!私のコメント
鍵コメになっていたのですね~、そんな必要などなかったのに・・・どこか触りまくってしまって
失礼しました。
何しろ機器に弱いものですから
と言いつつ、また鍵コメになったりしたら ごめんなさい
Commented by team-osubachi2 at 2017-01-08 10:59
phenixさん
うふふ、どうぞお気になさらず。
私もしょっちゅうですので〜。
ローガンで誤字脱字もしょっちゅう。。。(^ ^;;
by team-osubachi2 | 2017-01-05 17:59 | 出かける・見る | Comments(8)