心の中での作業

1月に個展を終えてからというもの、
いろいろなこともあって、自分の絵をまだ1枚も描いていない。

次の展示の予定もないし、日々雑事に追われて
忙しなさに描けないこともままあるけれど、
でも、この間から何人かの友だちと話をしていて気がついた。
この半年間、私はずっと心の中で、自分が絵を描くための
「模索」作業を続けていたんだなあ・・・と。

これから先、自分は何をどう描きたいのだろう?
「どうすればこの不況時代に少しでも業界にアピールできるか」
「どうしたらお金になる仕事を取れるか」
まわりからそういう話題をふられてもキモチがそこへ向かない。
(焦りがまったくないワケじゃないし
もちろんその必要性も頭ではわかってはいるんだけどネ)

個展もただやみくもにテーマを決めて絵を描くのではなく、
その前に、自分が本当に求めているものが何なのかを見つけ出せなければ
ただ描いて発表しても意味がない。
では、それはいったい何だろう?
それを自分の中に見つけだそうと何度も自問する毎日が続いていたのだけれど、
そのせいだろうか、いま描けていないこと自体には焦りがない。

・・・不思議だ。
以前だったら、ああ描かなくちゃとか、こんなに怠けてどうする?とか
自分の手が動かないことへの責め苦に苛まれていただろうに
この半年間はそれがなかった。

実際問題、個人事業主としては稼ぎが酷くてお金はない。
でも、この半年間はそのことにも必要以上に悩むことなく
淡々と自分と向きあう日々だった。

心の中での作業_f0229926_1016572.jpg

そうして心の中のいくつかのことが、
次第にひとつの方へ向き始めたような気がしたころ、
父親の納骨の法事のとき、御坊さまが読経のあとで説教をなさったのだが
そのさい、私が自分の画業の悩みをもらすと、
御坊さまは、ご自分の兄さまがお寺を継がずに
市井の無名画家として生きたというお話から、
その兄さまの言葉を引き合いに出して
「あんたはどうしたら自分の絵が描けるだろうとか、
いい仕事が来るだろうとか、そんなことを考える必要はない。
『絵が、自分から絵になりたいと云ってあんたの手を借りて絵になる』のだから
あんたが心すべきなのは(どうすればその絵の表現にふさわしいか)
技術だけ磨いておればいい」とおっしゃった。

心の中でピンッと何か弾けるものがあって、
そうか!そういうことか!と思った。

私は私なりに描きたいものがようやく見えて来たのだけれど
それを表現するためには、やっぱりもっともっと描いて
表現力を身につける必要があるのだな。

・・・と言葉で書けば、だれもが
「そんなことあたり前じゃない」と云うのだろうが、
そんなあたり前の事が、脳みその表面(おもてづら)ではなく
自分の心の深いふか〜い芯の部分で納得するのに
こんなにも時間がかかってしまうのはどうしてだろうか。

やれやれ、ずいぶん遠回りしているなあ・・・とは思うけれど、
でも、これでいいのだ。
ようやく得心したのだから・・・。

私には描きたいものがある。
では、そろそろ、それをカタチにするために描くとしようか。

そうはいっても、たぶん私の絵は
見た目はこれまでとそうたいして変わらないだろうし、
挿し絵という分野でいい仕事もしたいという思いも変わらないけれど、
この数年、自分なりに深く感じられたものが
目には見えないところで少しずつ現れてくれればいいのかなと思う。

有名でなくていい、お金持ちにもなれなくていい。
自分で選んだ場所でしっかりと根をはり、葉を茂らせ、
季節を迎えたらそっと咲く路傍のちいさな花のようでありたい。
そう願う。

Commented by haru_rara at 2014-06-14 00:30
「自分で選んだ場所でしっかりと根をはり、葉を茂らせ、
季節を迎えたらそっと咲く路傍のちいさな花のようでありたい。」

共感します。ほんとにそう願います、私も。
私はなんのプロにもなれませんでしたが、生きるということはたしかにそういうことだろうなと思っています。

Tomokoさんの絵、これからも楽しみです。
Commented by se-jiguir-nn at 2014-06-14 10:34 x
>心すべきなのは(どうすればその絵の表現にふさわしいか)
技術だけ磨いておればいい

うーん、、、思わず唸ってしまいました。
クリエイターにとって、自分が本当に求めているものが何なのかを見つけ出せなければ、との思いは、自分の仕事に誠実であれば必ず突き当たる問題です。

そして半年間、ずっと心の中で、絵を描くための「模索」作業を続けてこられたのですね。陽光差し込む海の色の移ろい、鮮やか色彩とユニークなフォルムの生物たち、大好きな作家の作品との出会い、美しい布たちの手触り、、、様々な環境に身を置かれてご自分のアンテナを磨いてこられたことと思います。
遠くに飛ぶには長い助走が必要だといいます。高い頂は遠きより臨みてこそ視界に入るとも。
これまでの研鑽がいつの日にか、きっと実ることでしょう。
応援しています!
Commented by 朋百香 at 2014-06-14 12:23 x
tomokoさま
よ〜く分かります、tomokoさんのお気持ち。
御坊さま、さすが良いことおっしゃいますね。
これからのtomokoさんの活動が楽しみです。
私も陰ながら応援してまっせ!
Commented by 香子 at 2014-06-14 15:46 x
ちょっと表現は違うかもしれないけれども
まるで青い鳥は近くに居る…なお話ですね。
心の赴くまま、求めるままがいいのかもしれません。
Commented by team-osubachi2 at 2014-06-14 22:28
haruさん
はい、haruさんのキモチの有り様は日々の日記から
(というか、かつての手描きの通信の頃から)いつも感じていました。
でも、きっと、私たちがふたたびこうして繋がるまでの間に、
haruさんにもすごくいろんなことがあって
(もちろん私が知るはずもないことなのですが)、
その経験を通して、こういうコメントを
記していただけるのだろうなあって思っています。
これからもharuさんの日記を楽しみにしています。そして私も励みます。
Commented by team-osubachi2 at 2014-06-14 22:36
セージグリーンさん
独身時代はそれこそ食べていくために描くばかりで、いつか、いつか自分の世界を築いてゆかねば生涯現役はおぼつかないだろう、と。
でも、日々家賃や生活費をなんとかして稼がねば・・・の身では、とても自分の絵はどれだ?なんて思う余裕はなかったのですが、結婚と大不況と重なったこの数年の間に、ついにそれが私の身に訪れたのでした。ありがとうございます。これからも励みます。
Commented by team-osubachi2 at 2014-06-14 22:48
朋百香さん
いやあ〜、すでにそのことに気がついていたり、
すでにそういう風に取り組んでいる人からは、
私の不明ぶりが俯瞰して見えるのだろうと想像します。
私も人の姿は見渡せるのですが、
自分のこととなるとからきしダメですね〜。笑
でも、一足飛びは結局は崩れますし、ゆっくりでも一歩ずつ
これからもじっくりいきます〜。
Commented by team-osubachi2 at 2014-06-14 22:55
香子さん
私もね、灯台下暗しとも、しあわせの青い鳥とも、
これは同じことなんだなって思いました。
で、気がついたんですけど、簡単に手軽に手に入るくらいのものなら
最初から「その程度のもの」なんですよ、きっと。
その人にとって本物、真実のものを得ようと思うなら、
やっぱり苦労してうんと遠くまでいってヘトヘトになってようやく自分の足元にそれがあるって気づく仕組みになってるのではないでしょうか?
仕事もしあわせも・・・。それは無駄足にはならないんですよ、その人にとってそれだけ価値があるってことなんですよね、きっと。うん。
by team-osubachi2 | 2014-06-13 14:42 | 日々いろいろ | Comments(8)

イラストレーター岡田知子の、暮らしと、着物と、お絵描きの日々


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