正岡子規の俳句から

なんとはなしに、ネットでいま時分の俳句をダラダラと見ていたら、
正岡子規の句が目にとまった。

『姉が織り 妹が縫ふて 衣更』 子規

誰の姿を句に詠んだのかは知らないけれど、
ふと、この姉と妹はどんな姉妹だったのだろうか、と
しばし妄想していたら、どうも裕福でない家の婦女子のように思えてきた。
でも、その姉妹の慎ましいような暮らしぶりに
ほんのりと清らかさを感じるのは、
子規の人を見つめるまなざしにある優しさ・・・なのかな?

織った布はきっと太もの(木綿)だったんじゃないだろうか。
仕立て上がったばかりの単衣ものに袖を通す喜びや嬉しさ。
女心のそういうところは、時代がだいぶ違ってはいても、
今もまったく変わりないという気がする。


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Commented by すいれん at 2011-06-03 09:40 x
tomokoさま
昨夜、美の壺で「紬」をやっていました。見ましたか?八木の店主もチラッと出ていましたよ。紬の素朴な地味な美しさは、歴史と実用の美から培われているのですね。 昔は家族の為に紬を織ったそうですから、この句もそんな仲の良い姉妹の、tomokoさんがおっしゃるような慎ましい暮らしを覗かせているのでしょうね。
私も数少ないきものを、大切に大切に着てゆきたいと思いました。
それにしても、母がもっと 紬を持っていてくれたら・・・。
Commented by team-osubachi2 at 2011-06-03 11:00
すいれんさん
私も見ました、美の壺(そうそう、八木さんも出てらっしゃいましたね~)。見ながらつくづく好きだなあ~って改めて思いましたよね。
考えてみると、自分で着るものすら自分たちで作り出してたって、当時はあたりまえだったコトでも、今はもうそんなコトはとうてい出来っこなくて、昔の人の並々ならぬ労力によるその暮らしぶりって現代人には想像の外かもしれませんね。手間暇のかからない暮らしって、手技も退化してゆくってコトあるんでしょうか。明治大正あたりの手工芸にも同じことが言えたりもして。
>母がもっと紬を持っていてくれたら・・・。
あははは。でもお手入れも大変ですし。あ、昔の庶民は、それこそこの句の姉妹のように、洗い張りも仕立ても自分でやってたんですものね。沢山は持てないハズだあ。でも、だから嬉しさもひとしおだったんですね、きっと。
by team-osubachi2 | 2011-06-03 00:53 | らくがき帖 | Comments(2)