河合隼雄さんと「泣き虫ハァちゃん」のこと

今日から7月だ。
はやいもので、元文化庁長官で臨床心理士でいらした
河合隼雄さんが亡くなられてから3年になる。

2005年の秋のこと、雑誌「家庭画報」のベテラン編集者Sさんからの電話で
「河合隼雄先生がお書きになる物語の挿し絵をお願いしたい」と
突然の依頼を受けた。

その当時、私の河合隼雄さんに対する認識はずいぶん乏しいもので、
心のカウンセリングをすることや多数の著作があること、
雑誌や新聞で、インタビューや小文を
少し読んだことがあるだけというものでしかなかった。
文化庁長官であるということも、なんとなく知っていたのだが、
そういうお人が、自分の少年時代のエピソードをもとにした物語を
雑誌で連載するという。
タイトルはたしかすでに決まっていたように思う。
「題名は『泣き虫ハァちゃん』です」と・・・。




グラビア雑誌のカラー挿し絵、しかも連載などという仕事は
私には初めてのコトで、話を聞いて思わず緊張したものの、
ここはありがたくお受けした。
自分にそんな力量があるのか自信はなかったが、腹をくくることにした。
あとはただ、誠実に、まじめに、
いまの自分に出来ることを精一杯やるしかない。

最初の原稿を読み、担当のSさんと話し合いながら作業を進めた。
扉絵の「ハァちゃん」の泣き顔はそれまで何度描き直しただろう?
自分の中で登場人物が自由に動きだすには、
それなりに材料と時間が要るということを、このときに学んだように思う。
私の中の「ハァちゃん」はなかなかすぐには動いてくれなかった。

緊張が続いたままで、翌年年明けの2月号からいよいよ連載がはじまり、
第一回の挿し絵を見た河合さんは
どうやら私の絵を気に入ってくださったようで、
「岡田さんにぜひ一度、丹波の郷里を見てもらいたい」と言われ、
思いがけず、連載が始まった後になって取材する機会が巡ってきた。

趣味でフルートを吹く河合さんが、郷里の有志のクラシックコンサートの会で
演奏するために帰郷されるというので、
それにあわせて担当のSさんと共に丹波篠山に向かったのだった。




いま思い出すと、ジョークを飛ばしながらニコニコとステージに登場し、
嬉しそうに演奏される河合隼雄さんの姿はほんとうに無邪気で、
音楽に身を置くしあわせを体いっぱいに表していたように思う。
当時の自分がもう少し賢明であったなら、
きっとその音色に、「ハァちゃん」の心そのままの人間・河合隼雄なるものを
おこがましくなく、ほんのちょっぴりでも感じ取れたかもしれないのに
・・・と思うと、以前の自分の不明さがとても残念に思われる。

コンサートの打ち上げが、河合家の長兄がいらっしゃる河合本家であったので
その席に呼んでいただき、そこで河合隼雄さんとはじめてお会いした。
それより以前、担当のSさんが「政治家を相手にわたりあうだけあって
柔和そうな顔でも、目つきはすごく鋭くて恐いときがありますよ」
と言うのを聞いていたから、どんな人だろう?とすごく緊張したのだが、
和気あいあいとした席に、やや遅れて現れた河合さんは
マスコミで見る通りの柔和で、ほがらかで、とても紳士的なお人だった。

ご兄弟やお嫁さん方、そして朋友のみなさんとのおしゃべりで、
河合さんの高速回転の頭脳から発せられる無数のジョークや
ウィットにとんだ会話で、こちらの緊張もどこへやら、
ただただ笑って目元のシワがおおいに増えたご対面になったのだった。



河合隼雄さんは、戦前当時の地方にあっては、
めずらしくリベラルで、独特な信念を持ったご両親のもと、
男ばかりの6人兄弟でのびのびと育ったそうだ。
その家庭では、オルガンを弾くお母さんのおかげか、音楽も常に身近にあり、
兄弟でカルテットを組み演奏した写真も見せていただいたりした。
そういえば、コンサート打ち上げの席でも、河合さんはみなさんと一緒に
いくつもの曲を歌っていらしたのが印象的だった。

翌日は、河合さんと一緒に、
すぐ上のお兄さんの「ミト」こと迪雄(みちお)さんのお宅にお邪魔して、
お二人からじかにいろいろとお話をうかがったのだが、
さまざまな思い出話を聞いているうちに、なんだか不思議な感覚におちいった。
何十年も前の出来事だというのに、その思い出話が非常に新鮮なまま
こちら側にフワ〜ッと風のように伝わってきたのだ。
お二人はそのとき、過去の時間枠からはみだして
今を生きる「ミト兄ちゃん」と「ハァちゃん」そのものだったのだと思う。

それから間もなく、河合さんは次の予定のために早く退座され、
その後、Sさんと私は「ミト兄ちゃん」の案内で、
河合兄弟が遊んでまわった一帯を何カ所か案内していただいたのだが、
この丹波篠山での取材が、後の挿し絵に
非常に大きな恵みをもたらしてくれたように思う。



連載がはじまったとき、実は編集部の挿し絵方針は、
「モチーフはなるべく物や風景寄りにして
(イメージを限定してしまわないよう)人物は描かない」というものだった。
ところが丹波篠山から帰ったSさんと私は話し合って
物語に添うシーンで人物を描こうという方向に転向することにした。
編集部サイドにとっても、「ハァちゃん」を登場させずに
この先話を進めるわけにはいかなくなったのだ。

取材から帰って、私の中でも「ハァちゃん」はすでに動きだしていたと思う。
河合さんからの原稿がまわってきて目を通すごとに、
物語のシーンが勝手に(まるで映画のように)浮かんできた。
あとは、下手は下手なりに、
自分の持てる力を精一杯活かして絵にするだけだった。

それ以降、挿し絵の下図(ラフ)に修正などが生じたとき、
河合隼雄さんは、私にじかにお電話やファクスで
あたたかい励ましや得意のジョークとともに直しの指示をくださった。
本来のお仕事の他、文化庁長官として分刻みにお忙しい中で、だ。
ありがたかった。



当初、物語は12回で終わる予定が、連載がはじまるや
なかなかの好評を得て、18回まで延長されることになった。
2006年の初夏を迎えるころ、正月号の特集取材のため
一ヶ月ほど担当のSさんが海外出張に行くことになり、
河合さんはその間の3ヶ月分ほど(第12回まで)を先行させて
ずいぶん早く原稿を書き上げられたのだった。

そうこうするうちに、高松塚古墳壁画のカビによる劣化を
文化庁が隠ぺいしたという問題でマスコミが騒ぎ出し、
河合さんは文化庁長官として謝罪会見をされてまもなく脳梗塞で倒れられた。

「ハァちゃん」の連載は、その後も事前に書き貯めてあった分を掲載し続け
偶然ではあるが、当初の予定の全12回で終了した。
それから一年近くもの間、河合さんの意識は戻らず、
昏々と眠られたまま2007年の7月19日に亡くなられた。


生前に親しくしてお見舞いに行かれた方のお話によると
病床の河合さんは坊主頭で「まるでお上人様のようでした」ということだった。

私が丹波篠山でお会いしたとき、河合さんはお兄さんにむかって
「引退したらアッシジに行きたいんや。アッシジで明恵(について)を書きたい。
思う存分書きたい!それが夢や」と語っておられた。
「明恵」と「夢」は河合さんの生涯のテーマだったのだろう。

病床で意識不明の間、河合さんは
何人もの知人・友人の方々の夢の中に現れたそうだ。
私勝手に想像するに、河合さんは著書「明恵 夢を生きる」の夢の世界を
一年もの時間をかけて自ら経験しておられたのではないだろうか。
きっと憧れの明恵上人ともご対面したに違いない。
そしてとうとう肉体をおしまいにして、向こう側へと逝ってしまわれた。

それから数ヶ月後、新潮社から「泣き虫ハァちゃん」が刊行された。
結局、物語は未完に終わったのだが、もしあのまま続いていれば
「ハァちゃん」はたしか中学に行くあたりで終わるはずだった。
けれども、ひょっとしたらこの物語の先は
これを読んだ大人や子供の心に委ねられているのかもしれない・・・と
そんなコトを思ってしまう終わり方をしている。

「泣き虫ハァちゃん」は、ありがたいことに、
このしがない挿し絵職人にとって、
生まれて初めてカタチに残るお仕事になった。
単行本の刊行から3年ほどがたち、
つい先日、文庫版としてもあらためて刊行されたのだが、
どちらも私の挿し絵のすべてを本文に添えていただいた。
いま見返してみると、自分の力不足が見えて反省も相当にあるのだが、
当時の私には、これ以上のものは描けなかったと、正直にそう思う。
しめくくりの挿し絵は、河合さんの新盆にと
私個人から「ハァちゃん」にあてて描いたものだ。

この本にかかわったすべての方に感謝したい。


新潮社/泣き虫ハァちゃん
http://www.shinchosha.co.jp/book/125229/

Amazon.co.jp/泣き虫ハァちゃん
http://www.amazon.co.jp/泣き虫ハァちゃん-新潮文庫-河合-隼雄/dp/4101252297/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1275354889&sr=8-2

by team-osubachi2 | 2010-07-01 13:16 | 仕事をする | Trackback | Comments(6)

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Commented by よしだ at 2010-07-01 21:24 x
うわあ、岡田さん!私、家庭画報で河合隼雄さん読んでます。
うわあ、うわあ、そっか、あの挿絵を描いてらしたんですか。
なんだかご縁を感じますねえ、、、、
河合さん、すてきな方ですねえ。
こういう先人がいてくれるから、よっしゃ!って思うし、励まされます。
とっても大事なエピソード、読ませていただきありがとうございました。
Commented by team-osubachi2 at 2010-07-02 08:46
よしださん
うひゃあ〜!読んでてくれてたんですねえ〜!
ありがとうございます〜!いやあ、ホント、ご縁だと思いますです。
河合隼雄さん、ホントにすてきなお人でしたよ。
さすが日本ウソツキクラブ会長だけあって、始終笑いっぱなし。
もう一度お会いできたらどんなに良かったかと思います。
白川静さんは亡くなられる数年前に初めて知ったんですけど
あの方も知性ありそな女性方に人気だったようですね。
長々したブログになっちゃいましたが、
読んでいただいてありがとうございました〜!
Commented by ぺたこ at 2010-07-02 13:37 x
読んでいるうちに、どんどん引き込まれてしまいました。
しみじみとした良いエピソードを聞かせて頂きました。ありがとう。
Commented by team-osubachi2 at 2010-07-02 20:43 x
ぺたこさん
恐れ入ります〜。私のわずかばかりの経験ですが、
3年たって文庫化されたときに、
ふと、一人で持っておくよりも、河合隼雄さんに関心がある人と
共有できるところがあるといいかもな〜、なんて思いたち
ブログに記してみました。
長いのを最後まで読んでいただけて感謝デス。
ありがとうございました。
Commented by むらちゃん at 2010-12-20 12:09 x
はじめまして。私も本書には素直に感動しました。
そして岡田さんのすばらしいイラストも。
安野光雅さんをほうふつとさせる、あたたかで優しいイラストは、本書の内容にとても合っていると思いました。よかったら記事もご覧下さい。
http://muratyan.cocolog-nifty.com/book/2010/06/post-e41d.html

私の読書日記ブログからトラックバックさせていただこうと思ったのですが、どうもうまくゆかないようでコメントさせていただきました。
Commented by team-osubachi2 at 2010-12-20 18:39 x
むらちゃんさん
はじめまして、コメントをどうもありがとうございました。
そちらのブログも読ませていただきました。お褒めいただいて恐縮です。
たまたまのご縁ではありますが、河合先生のおかげでたくさんのことを学ばせていただいたと思っております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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